安全保障の基盤としての、歴史と絡まる文化政策協調
一年間、最後に私自身の思いを述べることとしたい。歴史問題は、人権という普遍的価値(正確には、それと結びついた「国民」の記憶)を介して、人間の生命にかかわる国際協力ともいうべき安全保障問題ともリンクしている。そのリンクが政策化されたのは三〇年前、一九九二年の宮沢内閣から一九九六年の村山内閣の時代であった。かつて社会党は非武装中立化政策を唱えたが、それはアジア諸国との和解が前提となっていた。自社さ連立政権に依拠した村山内閣は、社会党が自衛隊を認める代わりに、自民党が歴史問題に取り組むことを連立の協定書で認めさせた。岸田派や麻生派の源流にあたる宮沢派が、河野官房長官談話に象徴されるように、PKO派遣とリンクさせて歴史問題に積極的に取り組み、その延長に村山声明はあったのである(拙稿「歴史と安全保障問題・連環の系譜」『シリーズ日本の安全保障第六巻 朝鮮半島と東アジア』岩波書店)。
実際、自民党単独政権最後の宮沢内閣は戦後はじめて歴史認識を国際協力の問題として取り上げ、二一世紀懇談会を通じてアジアからの信頼を得るために「加害者」としての歴史にいかに向き合うか、新しい歴史認識に日本の国民的コンセンサスをいかに調達するかを議論した。
しかし、こうした動きに対しては、「加害の歴史」をもって日本の歴史全てを自虐的に見ようとするものであるという反発が一部の学校教師やメディアから浴びせられた。また、韓国の方でも「被害の歴史」は神聖化され、完全な謝罪や政府の「法的責任」が追求された。「加害」と「被害」をめぐる記憶を、神聖さに象徴される濃厚な感情と一体となって、各国にそれまで存在してきた国民的記憶に組み込み、それを通じて新たな深い感情的関係を、国民相互が結ぶことができなかったのが、この三〇年の歴史であったと私は思う。
つまり、一九六〇年台から七〇年代にかけて行われた政府同士の国交正常化によっては、物質的な側面での経済協力や経済復興が実現したが、心と心の結びつきは、少なくとも、かつて日本の支配を直接に被った地域との間では、十分に達成されないままである。
かつて日本がアジアで唯一の産業化された民主主義国家であった時代は終わっている。民主主義を支える価値としての人権や自由を、歴史の記憶と結びつけてこそ、人権外交は深い説得力を増し、また、近隣諸国との協力も可能となることはまちがいない。明らかにその逆をいく現状は、いつか国民の深い感情にこだまする政治の力をもって修正されない限り、混迷はより深まっていくことであろう。
現実主義と理想主義のはざまにあって、おもいだされるのは、安倍元首相訪米議会演説の際に傍聴した「慰安婦」として苦悩の青年時代を過ごしたという生身のおばあさんの存在である。カリフォルニアから来たという韓国系のおばあさんは、マイク・ホンダ議員の紹介で、安倍首相の演説を、二階の観覧席に座って、韓国の国旗を象徴するピンクと青のチマチョゴリ姿で聞いた。その演説は人権という普遍的な価値、女性の尊厳、人間の安全保障の重要性を「積極的平和主義」の根幹に位置するべきものとしたが、そうであるならば、歴史を遡及して、「こういう方をもう二度と出さないようにするためにも、日米は協力しないと行けない」、それぐらい、一言、付け加えることはできなかったであろうか。
アメリカのペリー来航は「民主主義との出会い」と括られたが、安倍首相の論理においても、日本にとっての戦争は民主主義の本来の成長軌道からの脱線であった。日米戦争の原因がそもそも日本の中国への侵略にあり、それは日本が国際協調の軌道から脱線して「国策を誤った」結果であることは七〇年談話で述べられた。また、民主主義の根幹をなす人間の自由と尊厳に反する形で、韓国を併合したことも、戦後六〇年の菅談話で行われている。
「自由」と「繁栄」を含む「民主主義」、そして女性の尊厳を含む「人権」という普遍的な価値を、いかに、日本がペリー来航と明治維新以後、現代に至るまでに経験した歴史的な体験や記憶に根ざしたものとしていくのか。そうした国民的な記憶と普遍的な価値を結ぶことこそが、これからの時代の大きな変化の中で、近隣の国々との関係を築き直す上で重要となる。アメリカの大統領の演説が、リンカーン大統領の奴隷解放令やワシントン大統領の独立宣言等の、歴史的な記憶で埋められ、その土台の上に、自由や民主主義が語られるように、日本でも日本人の歴史的な記憶と普遍的な価値は、世界とアジアの歴史と結びつけて語っていく必要は今後ますます高まるであろう。
国民の感情的生活と関わる文化面でも、SNSの時代には悪貨が良貨を駆逐する現象が起きている。それを逆転させていくためには、文化面での協調政策が不可欠であり、また、国内の文化政策を感情や記憶に訴える生きたものとしなければならない。産業技術開発や安全保障で逆説的に国家の役割が拡大する現象は、アジアの民主主義が共存する時代において、その民主主義が機能している国民という集団の構成要素を活発にさせつつ、価値や記憶面での対立解消をコーディネートするという役割においても同様であるように見える。あたらしい記憶や意味を、きちんと歴史に根ざして作り上げる環境を整える(直接に規制することではない)ことが、本当の国際協力・これからの国際政治の目指す方向ではなかろうか。ご興味のある方は、是非、ウィルソンセンターのウェブサイトをご覧いただきたい
補註:本文は『時の法令』に掲載されたものであり、掲載された文章との間には、微妙な校正上のずれがある場合がある。
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