ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2024 ドイツ 2024 ギリシャ

2024年サマースクール参加報告書

熊谷 奈緒子

青山大学地域共生学部 教授

和解学の課題と展望 ―ヘルダーリン的、超分野間的和解学の追求

はじめに

2024年夏にイエナとギリシャのカヴァラでのサマースクールに参加した。学術的、文化的、交友的に素晴らしい体験をすることができた。

全行程約3週間(8月17日から9月5日)のうち、報告者は、8月17日から8 月30日までのイエナのサマースクール、ベルリンでの研修、そしてギリシャのカヴァラでのサマースクールに参加した。サマースクールでの若手研究者の発表はどれも興味深く、和解の学際的広がりと同時に学問としての収斂の可能性も感じた。

以下では、報告書として、参加を通じて和解学について考えたこと中心に記す。

和解学の特徴

ヘルダーリン的観点と超分野的観点

イエナ大学でのサマースクールは、マーティン・ライナー教授による和解学についての解説で始まった。ライナー教授は和解を、争う者同士が、正常で良い関係を創造もしくは回復してゆくことと広く捉え、和解学は超分野的で(Transdisciplinary)、ヘルダーリン的観点(Hölderlin perspective)を持つという。

超分野的というのは、学際的(interdisciplinary)とどう違うのか、という点は、梅森教授が指摘されておられ、私も抱いた疑問だった。

ライナー教授は、超分野的というのは、紛争解決における、多分野の分析視角を活用する総体的なアプローチであると解説された。そこでは相互学習と協力から、常に分野ベースの研究を再構築してゆく可能性を持つということであろう。ライナー教授の指導の下、参加者は、超分野的アプローチの在り様について、イスラエル・パレスチナ(ハマス)紛争への哲学、心理学、国際関係論、社会学分析のブレインストーミングを通じて理解を進めた。

さらに、ライナー教授によれば、 和解学には、ヘルダーリン的観点があるという。これは、フリードリヒ・ヘルダーリンの小説『ヒューペリオン』の一節「和解は争いの中にあり、離れ離れになったものは、再び互いを見つけ出す」に着想を得た見方である(Francesco Ferrari, Laura Villanueva, Daivde Tacchini, and Binyamin Gurstein, eds., Transdisciplinary Approaches on Reconciliation Research-Studies in Honor of Martin Lenier, 2024)。すなわち、和解は、紛争解決の後に始まるのではなく、和解への鍵は、紛争中にも見出せるとのことである。紛争当事者の真の声に耳を傾け、当事者の全人間的理解から和解を探るこの姿勢に、和解学の可能性の広がりを感じた。

このヘルダーリン的観点では、和解における政治家、活動家、市民社会、研究者、 実務家、メディアなど多様な主体の役割を重視するということも、ライナー教授は説明されていた。そこでは、和解へ向けた努力を実践するからこそ活発化する相互対話や批判、すなわち超分野間的アプローチが重要になることは、容易に理解できた。

また自分の研究である日韓慰安婦問題も、外交、人権、そして正義という哲学の問題という様々な側面について、政治家、活動家、研究者による議論、批判、提言、そして実践を重ねてきたという意味で、典型的な超分野間的な事例であったことにも気づいた。

こうしてみると、超分野間的視点は、和解過程に実際に関与するという気概、緊張感、そして責任感を、研究者に問うていることとも思えた。

 

教育を通じた「実践」の可能性

すると、和解学の若手研究者が、何等かの形で和解の「実践」へ関与してゆくことが、非常に重要になると思われる。ただ、学者を目指す若手にとって、実践を組み入れることは、容易ではないだろう。

それでも、多くの研究者が今度教職に就くであろうことを考えると、和解という実践を「教育」を通じて行う可能性はあるかもしれない。一つには、ワークショップを通じた学習であり、もう一つは教える過程で和解を実践するものである。

まず、「ワークショップ」を通じた和解の実践の機会は、イエナのサマースクール期間中にも提供された。イエナ和解学センターの中東・北アフリカ和解学術連合代表のローラ・ヴィラヌエヴァ教授の指導の下に、アメニスタンとハバシュという仮想国間の領土紛争の事例に基づくワークショップを行った。これは、与えられた情報の中で最善の和解策を、多様な学問分野からの知見を総動員しながら考える訓練であった。

ヴィラヌエヴァ教授も述べておられた通り、このようなワークショップは、本来数日をかけて行うものだという。より長時間のワークショップで、各グループの和解案の実効性を確認しながら、超分野間的対話を進めることができるであろう。

次に、教育の実践が和解活動につながるという考え方がある。この点においては、高等教育学の黒田教授や若手研究者から得られる知識や洞察も多い。黒田教授は、国際高等教育こそが、混迷を深める今日の世界の中で平和に貢献する可能性が高いことを、これまでの歴史や今日の国連での考えを紹介しながら、カヴァラのサマースクールで説明されていた。若手研究者は、留学生交流、ICT活用の和解への効果、紛争地域の子供への平和教育の重要性を提示し、 普段の教育活動自体が和解の試行に類推されうるものであることを、示唆していた。

和解学の方法論と実践

ライナー教授からは、和解学の方法論についての講義も受けた。神学者であるライナー教授も、いわゆるアメリカでのリサーチ・デザインのクラスで教えられるような社会科学のメソッドに則った形での研究方法を紹介していたことは興味深い。

ただ、疑問に思ったのは、人文科学では、同じアプローチがとれるのかということである。確かにライナー教授は、人文科学的視点、すなわち研究者自身の立ち位置(positionality)を自覚することの重要性を説いていた。とすれば、なおさら哲学や思想研究の観点からの別の方法論も存在するのではないかと考えた。

これは、講義の中で梅森教授が、実証主義的(positivist)方法論だけではなく、現象学的方法(phenomenology)も必要ではないかと指摘されていた点とも共通点がある。人文科学からの和解学の方法論について、国際先導研究のメンバーで、今後議論す る必要があるのではないかと思った。関連書籍を少し調べてみたが、金子晴勇著『人

文学の学び方』、バース・ダナマーク他著の『社会を説明する: 批判的実在論による社会科学論』(Explaining Society) あたりが参考文献になるのか。

自身の立ち位置(positionality)の自覚の必要性については、ドイツの後に訪れたギリシャのカヴァラでのサマースクールで感じた。島がトルコ系とギリシャ系住民の間で分断されているキプロス問題において、ギリシャ側の研究者の多くの見解に共通して見られた傾向は、トルコをいわば絶対的加害者と見なすものであった。そもそもトルコがキプロスに 1974 年に侵略した動機を理解する姿勢に乏しいように思われた。結果として提案される解決策は、トルコを対話の枠組みに入れずに、EUの枠組み内での解決をめざすというものが多かった。なぜトルコを対話の枠組みに入れる必要がないのかについての明確な説明は、得られなかったように思う。

それでも、カヴァラのサマースクールを率いたテオドロス・ムリアディス市長は、率直な対話を重ねる中での相互理解の重要性を後日私に話して下さった。ギリシャ側の考えについても、丁寧に理解を進めたいと思った。

確かに、立ち位置の自覚を踏まえた分析もあった。カルプティトゥシス博士は、キプロスへの EU の役割を、地中海東部における地政学的安定という点からのみに絞っていた。そして、和解については、ギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人双方の言い分を紹介しつつ、自己が気づいていない、見えていない過去の闇の記憶に目を向けることの重要性を唱えていた。

キプロス問題をめぐる議論に見られた自分の立ち位置(positionality)の問題は、翻って筆者にとって、日本が自身のどの点に盲目であるかを省察する契機ともなった。

事例研究の意義―キプロス紛争の事例から

ギリシャのカヴァラでのサマースクールは、キプロス紛争の和解問題の事例に特化していた。ここでは、事例を中心に学ぶ意義も再確認した。キプロスの社会政治状況、歴史的背景を広く深く学ぶ過程では、次々に思考が刺激され、多岐にわたる和解案を思いついた。また、この経験は、和解論の拙速な理論化への牽制ともなった。

同時に、事例の深い学びこそが導く他地域、他時代の事例との比較の着想も大切にしたいと思った。カヴァラでのサマースクールの中では、キプロスと歴史的、地政学に似た位置づけにある台湾についての発表、キプロスと台湾の比較研究の発表が、浅野教授、梅森教授、平井教授によってされた。特にこれらは、この国際先導プロジェクトの趣旨が、東アジアの和解経験を、世界の和解問題解決に活かすという趣旨でのご発表であったかと理解している。先生方のご発表に基づいた十分な議論の時間がなかったことが、惜しまれる。今後、別の機会も活用しつつ、継続的な議論を通じて、 国際和解学研究に十分活かされることを願う。

ドイツの底力

イエナとベルリンでは、ドイツの近現代の歴史に関わる施設を多く訪ねた。そこでは、人種・民族・宗教差別、言論封鎖と思想統制の恐怖を実感し、その恐怖が日常的に存在していたことも目の当たりにした。ベルリン郊外の風光明媚なヴァン湖畔に建つユダヤ人絶滅政策が討議されたヴァンゼー別荘、そしてベルリン中心部の「恐怖のトポグラフィー」では、ナチ支配の人種・民族差別の排除の思想がもつ暴力のエネルギーが、次々と人間の尊厳を棄損していった数々の記録写真が展示されていた。旧東独での監視塔的役割を担っていた中世の面影も残す歴史的な街並みの中で聳えたつイエナタワーには、シュタージ(旧東ドイツの国家保安省の秘密警察)の映画さながらの監視体制の徹底ぶりを見た。

ベルリンの住宅街の中にあるホーエンシェーンハウゼン政治犯収容所は、旧東独時代の政治犯が拘禁されていた監獄であった。その社会から隔絶され、衛生的にも劣悪な環境もさることながら、先鋭化したイデオロギーの成れの果てとしての政治弾圧が、精神を破壊するような拷問を可能にすることにも慄然とした。旧東独については、ベルリンの壁による分断や、家族同士のスパイ行為などが有名である。しかし、ナチスの暴力を経験した後でさえ、思想・言論統制のためのこれほどまでの暴力が繰り返され得たこと自体が、もっと注目されるべきではないかと考えた。

収容所建物

今日も様々な地域で、民族・人種差別や迫害、思想・言論統制、強制された沈黙、周縁化という形での暴力にさらされ続けている人々が存在する。そして国際社会では、権威主義国家が台頭し、民主主義は衰退しつつある。無力感と危機感にさいなまされそうだが、ヘルダーリン的に和解を考えるなら、和解学が暴力や弾圧を予防する役割にも重点をおいてゆくべきであろう。国際教育学の黒田教授も、紛争・暴力予防の役割としての教育の重要性について、サマースクールの間、言及されていた。

ドイツ各地での展示からは、歴史を徹底して直視するというドイツの底力も感じ た。ドイツ統一後、シュタージの活動を記録した文書はすべて公文書として残され、公開可能とされている。過去の施策を情報公開し、検証し、反省することは、民主主義であるからこそ出来ることである。ただ、それでも、重すぎるほどの過去を直視するドイツの姿勢自体に、純粋に感嘆した。昨今の日本の言論状況では、歴史問題における安易な日独比較への批判も高まっているが、過去を直視するドイツの姿勢から、日本はまだまだ学ぶべきところがあると思った。

ちなみに、筆者はカヴァラのサマースクールで、日韓慰安婦問題について発表をし た際に、被害者側(韓国)の行き過ぎた被害者意識は、和解というよりも加害者(日本)の尊厳を傷つけることを目的としているのではないか、という問題提起をした。 それに対して、ドイツ人のライナー教授は、日本はそもそも加害について本当に恥ずかしいと思っているのか、と質問された。謝罪と事実上の補償を重ねてきたとはいえ、日本はそもそも過去を直視しているのかが問われていることを痛感した。

また、ホーエンシェーンハウゼン政治犯収容所では、かつての収容被害者もガイドをしていると聞き、驚いた。勿論、同じ過ちが繰り返されてはならないという強い使命感もあるだろう。それでも、自身の筆舌に尽くしがたい過酷な経験を言語化して、生々しい迫害の記憶が蘇るであろう収容所の現場で、証言としてではなく、ガイドとして客観的に他者に説明する勇気は、どこからくるのだろうか。自身の経験を客観視することこそが、新たな人生、アイデンティティの構築過程の一助となるのだろう

か。その強さの秘訣も、記憶やトラウマ研究という観点からも、考えてゆきたい。

収容所内部の独房

世界史的視点と和解学

ドイツとギリシャでの見聞は、「百聞は一見に如かず」を体現するような歴史と文化 の吸収であった。学術都市ならではの落ち着きと荘厳さに満ちたイエナでの滞在は、ルター、ゲーテ、ヘーゲル、マルクスの知的足跡を辿る喜びに満ちた幸福な時間でもあった。また、イエナの戦いの跡にある美しい並木道と草原の広がる丘にあるハッセンハウゼン記念館に展示されていた、「イエナなくしてセダンなし」というビスマルクの言葉に現れた、ビスマルクの軍人政治家として賢明さと矜持に、畏敬の念を覚えた。ただ、それと同時に、その賢明さは今日においては、専ら平和のために発揮されなければならないという思いも強くした。

ギリシャでのサマースクールが行われたカヴァラでは、ローマ帝国、ビザンチン、オスマントルコ、ブルガリアの影響など実に豊かで多岐にわたる歴史の軌跡を、建 築、記念碑、そして食べ物や雰囲気から感じた。カヴァラのレストランのメニューには、英語、ギリシャ語の他に、ブルガリア語の表記があった。カヴァラはブルガリア国境から 100 キロ未満の距離にあり、当然ともいえる。ただ、かつてナチスと同盟関係にあったブルガリアが、第二次世界大戦中にカヴァラを占領した過去を、カヴァラの人々はどう思っているのか。現地の人は、それは過去の話であり、ギリシャはブルガリアに謝罪を要求したが、いずれにせよブルガリアは謝罪を断ったと語る。この複雑な関係は、カヴァラの複雑な長い歴史を見てこそ理解できるのだろう。ちなみにカ

ヴァラには、カヴァラ出身で 19 世紀初頭のオスマン帝国のエジプト総督であり、教育にも力を入れたムハンマド・アリの銅像や住居記念館もある

従来の和解学が、人権概念の進展に依拠しながら蓄積してきた 20 世紀の歴史問題の解釈と分析は、来世への教訓となりうると思う。ただ、カヴァラで見られたような世界史的視野に基づいた記憶や共存の在り方を考えるような和解学も、大切なのではないかと考えた。これは、ヘルダーリン的観点と超分野的観点にも通ずるだろうし、人間学としての側面も持つ和解学の発展にも寄与するのではないだろうか。

ムハンマド・アリの銅像

おわりに

この素晴らしいサマースクールを率いてくださった浅野教授、イエナのライナー教 授とヴィラヌエヴァ教授、そしてカヴァラのテオドロス・ムリアディス市長に深く感謝申し上げる。そして準備に尽力くださった川口博士、小野坂博士、さらに現代政治経済研究所の浅見氏、早稲田大学アカデミックソリューションの赤尾氏をはじめ、関係者の方々にも厚く御礼を申し上げたい。

今回のサマースクールは、多様な分野の研究者が、3週間(筆者は2週間のみではあったが)の間、共に異国で学び、見聞を広める貴重な機会であった。その間、若手研究者たちが自身の学問分野や文化に基づく率直な議論を交わし、そして行程の要所要所で互いを気遣い、優れたユーモア精神ももって、協力し合っていたことがとても印象的であった。彼ら彼女らこそが、ヘルダーリン的、超分野間的な和解の精神を体現しているようにも感じた。この素晴らしいグループの仲間と共に見聞を広めることができたことを、とても幸せに、そして誇りに思う。