ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

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2024年サマースクール報告書

梅森 直之

2024年9月23日

早稲田大学 政治経済学術院 教授

はじめに

本サマースクールに参加するにあたり、とりわけ留意した点は、各自の研究テーマと和解学との関連の明示化である。この点については、2024年7月4日にアッシジで開催された国際和解学会の総会における議論がその起点をなしている。そこでは国際和解学会の意義について議論がおこなわれたが、そこでの確認事項が、「国際和解学会は、和解という問題にフォーカスしている点に、そのユニークさがある」という点であった。この確認は、国際和解学会を主要な舞台として活躍することを目的とする本プロジェクトのメンバーにとっても、重要な意義を有する。本プロジェクトには、さまざまな研究分野からさまざまな研究主題を有する若手研究者が参加している。その研究主題と和解という主題との関連は、直接的なものから間接的なものまで、バリエーションをもって存在する。

  1. みずからの研究主題と和解が間接的な関連性をもつ研究者は、国際和解学会やそれに準ずる和解学プロジェクト関連の場においては、みずからの報告において、みずからの研究主題と和解という問題が、どのように関連しているかを、可能なかぎり明示化することが求められる。しかしながらこのことは、既存の紛争解決学のフォーマットにあわせて、自分の研究を切り縮めることを意味しない。むしろ国際和解学の場では、問題設定やそれに対する方法論の独自性は評価される傾向にある。和解というテーマに、みずからの研究を当てはめるのではなく、みずからの主題と方法が、和解という問題にどのような貢献をなしうるのかを発見することで、和解学自体の革新を図ることが求められている。
  2. みずからの研究主題と和解が直接的な関連性をもつ研究者は、すでに国際的に共有されている主題を論じているために、国際和解学会やそれに準ずる和解学プロジェクト関連の場においても、報告がスムーズに受け入れられやすい。具体的にいえば、旧ユーゴスラビアの内戦やアフリカにおける部族対立を主題とする研究である。しかしこの場合においては、逆にすでに先行する欧米の研究に対して、みずからの研究の独自性を打ちだしづらいという問題が生ずる。その際のひとつの対応が、日本人(アジア人)として、なぜその問題を論じるのかというみずからの立場性を明確化することであろう。国際和解学会は、いまだアジアからの参加者が少なく、欧米からの参加者たちは、アジアからの参加者たちとの対話を求めていることに、意識的であるべきと考える。

ワークショップ

サマースクールの前半、イエナ大学では、二人の教員がワークショップを実際に組織し、それに参加することを通じて、和解学についての理解を深めた。私自身は、すでにキャンパスアジアのディレクターという立場から、同様のプログラムを構想・実践した経験がある。今回のワークショップは、そうしたみずからのオーガナイザーとしての経験を、受講者の立場から反省的に捉え直す格好の機会となった。とりわけ印象に残ったものが、予め渡された架空の紛争状況のシナリオをもとに、グループごとにその解決策を構想するというトレーニングである。まず、当該のシナリオが、きわめて具体的で、しっかりと作り込まれていることに強い感銘を受けた。ワークショップ自体は、学部学生・大学院生を受講生として想定したものであったが、シナリオ自体の制作をワークショップの課題として組み込めば、若手研究者・専門研究者のワークショップとしても十分に活用可能なデザインであった。いずれにせよ、和解学の発展のためには、単に研究のみでなく、新しい教育手法の開発と実践もまた、きわめて重要な課題となる。サマースクールに参加した若手研究者は、近い将来、教壇に立ち、和解学を教授する立場になる。その際に、本ワークショップを通じて得た知見は、きわめて重要な資産として活用されるであろう。

また本サマースクールでは、前半のイエナで一度、後半のテッサロニキで一度、若手研究者の研究報告のセッションが組まれていた。計二回の研究報告のセッションで、若手研究者の全員が研究報告を行い、海外大学の研究者からフィードバックを受けた。当該セッションを通じて、発表者ひとりひとりが、有益なアドヴァイスを得ることができたことはもちろんであるが、参加者相互が、お互いの研究テーマや研究手法を、深いレベルで共有できた点でも、きわめて有益であった。それぞれの研究内容について、具体的に詳述することは避けるが、全体的に、若手研究者の研究水準が上がっていることに感銘を受けた。とりわけ、みずからの研究テーマが、いかなる意味で、和解と関係するのかという問題設定の明示化に、全員が真剣に取り組んできたことがそれぞれの報告にあらわれており、それが研究テーマそのものには専門知識をもたない参加者からも、多くのコメントを引きだす成果につながった。

サマースクール

カバラでのサマースクールでは、四日間にわたりキプロス問題を主題とする集中的な議論を行った。本プログラムに参加することから得た学びは、大きく二つに分けられる。一点目は、これまでほとんど知識のなかったキプロス問題について、集中的な講義と議論を通じて、大きく理解をすすめることができたことである。キプロスにおいては、ギリシア系住民とトルコ系住民のあいだに、民族浄化を含む深刻な紛争が勃発し、それが1973年の分断に発展した。キプロス問題には、ポスト植民地化のプロセスにおいて、分断国家の成立を見たこと、またその後、当事国が、選択的な記憶に基づく相互批判を繰り広げてきたことなど、東アジアの戦後経験とも重なる状況が認められる。しかし、他方、和解におけるEUの役割が強調されるなど、東アジアの文脈とは大幅に異なる状況も理解できた。二点目は、紛争が顕在化している状況で、和解をテーマとするプログラムを組織化することの困難さである。本プログラムで、報告を行ったすべての講師が、ギリシア系のキプロス共和国の立場から議論を展開しており、北キプロスやトルコからの講師は皆無であった。この結果、サマースクール全体の印象としては、本来の目的である和解よりも、ギリシアの一方的なプロパガンダが前景化される結果となった。この点、組織者に直接問い合わせて見たが、最後まで、北キプロス、トルコからの講師を招聘する努力をしたが、成功しなかったとのこと。こうしたサマースクールの構成を通じて、キプロス問題における紛争の深刻さを再確認する結果となった。

私自身は、当該サマースクールの講師として、キプロスにおけるイギリスの植民地支配と、台湾における日本の植民地支配を比較する講義を行った。キプロスの住民にほとんど関心を示さなかったイギリス植民地主義と、台湾人を丸ごと帝国臣民に変えようと試みた日本植民地主義を対比的に論じ、こうした植民地支配の様相が、それぞれちがった形で、旧植民地の解放後の政治と社会に大きな影響を及ぼしていること、そしてそのことに対する旧宗主国の責任(植民地責任)をどのように考えるべきかについての問題提起を行った。オーディエンスには、台湾に関する事前知識をもっていたものはほとんどいなかったが、本講義を通じて、台湾に対する参加者の関心を高められたことで、講師としての責任の一端を果たしえたと感じている。

エクスカーション

ワークショップやサマースクールの合間に、テーマに関連する場所を訪れるエクスカーションの機会があった。とりわけ以下の二つのエクスカーションは、多くのことを考えさせられる貴重な経験となった。その一つめは、ベルリンの街をめぐる市内探訪である。街の中心部のいたるところに、ナチの犠牲者を記念するさまざまな施設が残されていることに、とりわけ日本と比較した場合、過去の記憶という問題に向けられる熱量の違いに大きな感銘を受けた。とりわけ、ベルリンの市内にある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」と、「虐殺されたシンティとロマのための記念碑」が印象に残っている。前者は、そこを訪れた人が、迷路のようなモニュメントの隙間を歩くことを通じて、混乱の時代をいわば追体験する施設となっており、記憶の継承をどのように実現していくかの具体的な試みとしてきわめて興味深かった。後者は、ナチによる戦争犯罪の犠牲者が、決してユダヤ人に留まるものではないことを思い起こさせる比較的新しい施設であり、歴史的な資料発掘と国民的な追悼行為との密接な結びつきに、日本の現状、とりわけ関東大震災後の朝鮮人虐殺に対する一部政治家の態度などとの落差を感じないわけにはいかなかった。

カバラでのサマースクールでは、最終日に行ったテッサロニキ周辺のムスリム系ギリシア人の街へのツアーがもっとも印象に残っている。すでにサマースクールの講演者のプロフィールが、ギリシア系に偏っていたことの問題点については指摘したが、実は参加学生の中には、イスラム教徒のギリシア人が5名ほど参加しており、かれらがみずから生まれ育った街を案内してくれるかたちで、このツアーが実現した。このツアーに参加し、またかれらと親しく話すことを通じて、サマースクールの運営側が、多様性の確保に関して最大限の努力を行っていたことを知ることができ、サマースクール全体に対する印象も、ずいぶん好転した。ひとつの街に、モスクと教会が共存する街の風景、またさまざまな侵略の経験を経ながらも、変わらぬ日常生活を営み続ける人々の姿に、座学のみでは感じ取れなかった、和解と共生の可能性を実感することができた。

おわりに

以上のように、本サマースクールの経験は、私を含めた参加者すべてにとって、学術的にも、また経験と視野を拡げる上でも、きわめて有益であったと評価できる。また、およそ三週間にわたる寝食をともにする経験は、参加者の相互理解を推進し、格好のチームビルディングの機会となった。今後は、この経験を、参加者各自がみずからの研究へとフィードバックし、具体的な研究成果へとつなげていくことが求められる。