2025 年夏の Summer Intensive Program では、ワシントンの日本大使館への表敬訪問、ジョージ・メーソン大学での講義と討論や、同大学ピースウィークの「From Hiroshima to Hope: A Call for a Nuclear Arms-Free World(広島から希望へ──核兵器のない世界へ)」と題する核廃絶に向けたイベント、そして国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館訪問など、大変充実した内容で、思考と感覚を刺激されるものが多かった。
1. 在アメリカ合衆国日本国大使館表敬訪問
日本大使館では、広報文化班参事官の鷺坂真聡氏が日米関係について説明をしてくださった。今日の日米間の深い信頼関係が、政府間そして社会レベルでの交流と尽力の上に築かれていることを実感し、先人たちの努力を想い、日米の友情を受け継いでゆきたいと思った。大使館のエレガントな建物も印象的であった。1931 年にネオ・ジョージアンスタイルで建設されたという。1931 年から今日までの激動の日米関係の歴史に思いをはせた。大使館の日本庭園と茶室にも案内していただいた。茶室の静謐さは、アーリーアメリカンの建築様式の建物が並ぶ大使館周辺の歴史的な街並みとも異なる独特の落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
2. ジョージ・メーソン大学での講義
ジョージ・メーソン大学では、カリーナ・コロステリナ教授、ダニエル・ロスバート教授、マーク・ゴルピン教授、ジェフ・ヘルシング教授から和解についての国際関係、宗教学、哲学など多様な観点からの講義を受けた。どの講義も和解の考え方、また和解学の方法論について多くの示唆に富む深い内容であった。
さらに、国際和解学プロジェクトで私が所属するジェンダー・エスニシティ班で計画している編著について、ゴルピン教授とロスバート教授から貴重な助言を得た。特に、編著の中核の概念となる「埋め込まれた関係」について、有益でとても良い枠組みになりうると評価を受けたことは、勇気づけられた。「埋め込まれた関係」は中東研究の第一人者の酒井啓子教授が中東の事例を中心に提案されたものであり、ジェンダー・エスニシティ班では、中東以外の地域の和解の事例でも適用することを考えていた。「埋め込まれた関係」とは、見過ごされ、もしくは忘れ去られている様々な社会グループの存在と動向を指す。ゴルピン教授とロスバーと教授は、「埋め込まれた関係」を和解の多様な事例に適用するにあたっての助言をくださった。主なものは、以下の通りである。
- 「埋め込まれた関係」にある社会グループの分類自体も精査し、「埋め込まれた関係」そのものに何か意図があるものか、またそこに力関係が存在しているのかもみること。
- 「埋め込まれた関係」のダイナミズムに存在しうる感情、例えば怒り、憎しみ、恥などの存在と、それらの「埋め込まれた関係」への影響も考えること。
- 社会グループの人権状況を見るにあたり、具体的な歴史、記憶の文脈においてどのように人権規範が理解されているのかにも留意すること。
- 和解過程で問題となっている社会グループ同士だけではなく、第三者の存在とその意義の可能性も考えること。和解当事者同士の感情的な次元は、社会全体の心理へも影響を及ぼしうる。
- 「埋め込まれた関係」自体が時間とともに変化する可能性も考慮すること。
ゴピン教授による共感の理論(compassionate reasoning)は興味深いものであった。共感の理論とは、個人の共感の慣行や経験が社会の道徳的実践の原則として発展してゆくものである。共感の理論は、愛国主義が向社会的姿勢も持つことを可能にする。これは神経科学でも説明されているとのことである。ゴピン教授によれば、共感は同情とは異なる。同情は、同情の対象(被害者など)への関心のために、利己的な(anti-social)反応をも生じさせうるという。さらにゴピン教授は、共感を実践そして社会規範に結びつけるためには、争う者同士の片方にだけ同情を見せるのではなく、紛争当事者同士の共通点を見つけ
ることが重要であると論じる。これはイスラエル・パレスチナ紛争においても言えるとのことである。ゴピン教授は、恥の感覚が分裂や分断を生み出し、和解過程を妨げる危険性も指摘する。そして人間の価値は、個人でも集団でも尊重されなければならないと説く。
また、旧日本軍兵士への追悼と日本の反省の双方をいかに行いうるのかという私の質問に対しては、ゴピン教授は、兵士を追悼するにおいて、ナショナリズムではなく愛国主義の精神が重要であると説明した。そして、過去と未来を見据え、過去への憎しみや恥の感情を抱き続けることなく、同時により良い未来を実現してゆく心理的な努力が必要であると説いた。日本が健全な自己批判の精神をもって、自己正当化したナショナリズムに陥らずに愛国主義を抱くことの重要性を実感した。
3.国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館
国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館訪問も印象深いものであった。大西洋奴隷貿易の歴史、アメリカ大陸での奴隷制、それらが生み出した根深い人種差別の実態、そして奴隷解放運動や公民権運動が包括的に展示されていた。その時々の政治家や活動家の努力や葛藤に関する様々なエピソードを、写真や書簡などの関連の品々をも交えて紹介した展示からは、問題の厳しさと同時に人々の不屈の精神が伝わってきた。そして人種差別に向けた人間の理性の進歩を確認することができた。さらに、アフリカ系アメリカ人のアメリカ社会への多様かつ多大な貢献も学んだ。ただ、博物館の構想が 1915 年にアフリカ系アメリカ人社会から連邦議会に提案されていたにもかかわらず、その設立を連邦議会が承認したのが 2003 年で、その間、他の博物館は次々に建てられていたという過程を知るにつけ、アフリカ系アメリカ人の人権、地位向上のための努力を止めてはならないと強く感じた。
見学後、博物館カフェテリアでの昼食時には、ジョージタウン大学の樋口敏広教授が駆けつけてくださり、奴隷解放やアフリカ系アメリカ人の人権向上の過程には、道義的規範的要因のみならず、政治的経済的要因からの影響もあったことを解説して下さった。人権の向上には規範的運動のみならず、政治的経済的契機を戦略的に利用することの重要性を再確認した。
4.関係者への謝意
この夏季集中プログラムでの充実した学びや経験は、国際和解学プロジェクトを今後も進めるにあたり、また自分自身の研究において、是非活かしてゆきたいと考えた。夏季集中プログラムの計画、準備、実行に携わったすべての関係者に謝意を表したい。プログラムを率いてくださった国際和解学プロジェクト代表者の早稲田大学の浅野豊美教授、プログラムを日本側で準備して下さった次席研究員の川口博子博士、小野坂元博士、早稲田大学政治経済学術院/現代政治経済研究所事務所の浅見志真氏、さらに、アメリカで準備をして下さったジョージ・メーソン大学のコロステリナ教授、そして国際和解学プロジェクトの Rita Nazeer-Ikeda 博士にも厚く御礼を申し上げる。特に Rita Nazeer-Ikeda 博士のタイムリーで明瞭な情報提供、きめ細かな対応など、プログラムのスムーズな進行のための計り知れない尽力には、深く感謝申し上げたい。Nazeer-Ikeda 博士は、プログラム運営で多忙な中、我々プログラム参加者をご自宅に招いてくださり、ご家族と共に大変思い出深い、温かいおもてなしを下さった。厚く御礼を申し上げる。