Association for Asian Studies (AAS) 2026 Annual Conference は、2026年3月12日から15日にかけてカナダ・バンクーバーにおいて開催された。本大会は、アジアに関わる数百ともなるパネルおよび多様な関連イベントから構成される国際学会であり、これに参加する機会を得たことは、若手研究者にとって極めて刺激的であり、多くの示唆を得る貴重な経験であった。私が報告者として参加したパネルのタイトルは、“Reframing and Remembering the Past: State Diplomacy, Private Donations, and UNESCO Disputes in Japan–Korea Cultural Heritage Relations” である。座長は本プロジェクト代表である浅野豊美先生が務められた。報告者には、朝鮮関連文化財問題研究で著名かつ本パネルのオーガナイザーである長澤裕子先生、ユネスコ韓国国内委員会において活躍されている Jihon Kim 先生、そして僭越ながら私の三名が名を連ねた。また討論者として、国際政治および遺産研究の分野で広く知られる Elif Kalaycioglu 先生をお迎えした。本来であれば各報告およびその後の討議の詳細を紹介すべきところではあるが、本稿では僭越ながら私自身の報告内容と、それに関連する質疑応答を中心に記すこととしたい。

私の報告タイトルは、“Public Concern in the Japan-South Korea Cultural Property Issue: Conditions of ‘Problematization’ in Media Discourse” であった。私の研究する「日韓文化財問題」とは、狭義の意味では植民地期に朝鮮半島から日本へと持ち込まれ、現在も日本国内に所在し、原産国への返還要求の対象とされている文化財をめぐる問題を指す。文化財とは、個人的評価の対象にとどまらず、集団的価値が付与されることによって初めて成立する概念であり、その意味において本質的に社会構築的な性格を有する。こうした前提に立ち、私の研究では、日本と韓国という「想像の共同体」を構成する力学から日韓文化財問題を検討することを行っている。本報告では、小倉コレクションと対馬仏像という二つの事例を比較し、特定の文化財が日韓両国の世論においていかなる問題として表出するのか、またその成立条件について検討を行った。前者は古代から近代に至る多様な時代の文化財を含むコレクションであり、植民地期に日本へ搬入された後、現在は東京国立博物館に所蔵されている。後者は中世に朝鮮半島で制作され、近世に日本へ運び込まれた仏像であり、その後日本の寺院において宗教的慣習の中で使用されてきたものである。

本報告の主たるアーギュメントは、両事例において日韓世論上における「問題のなり方」が、日韓各国の「想像の共同体」を成立させる国民的言説および集合的記憶と密接に連関しているという点にある。小倉コレクションの場合、植民地支配に由来する「負の遺産」を清算しようとする韓国においては大きな国民的関心事として表象される一方、近代性に対して肯定的な歴史認識を基調とし、それと表裏一体をなす植民地支配の側面がしばしば不可視化される日本においては、当該問題はほとんど関心の対象とはならない。これに対し対馬仏像の事例では、国際法の遵守を重視し、国際社会において「優等生」的立場を保持することが自己理解として共有されている日本においては、返還に対する一定のモメンタムが世論上に見出される一方、韓国においては返還の妥当性をめぐって世論が大きく二分された。一方は国際法の遵守を重視し返還を支持する立場であり、他方は近世における搬出を倭寇の略奪として不当とみなし、これを近代の植民地支配の問題とも結び付けて返還を否定する立場であった。以上の検討から、文化財問題は、小倉コレクションのように国民国家間の対立、すなわち各集団を成立させる力学同士の対立として表出する場合もあれば、対馬仏像のように国民国家内部におけるコンフリクト、すなわち集団を成立させる基盤そのものをめぐる対立として現れる場合もあることが明らかとなった。このことは、文化財が「想像の共同体」における不可視の国民的価値や集合的記憶を物的形態として可視化する媒介として機能することを実際的に示しているといえよう。したがって、日韓の和解を視野に入れるならば、日韓文化財問題をこの視角から分析することの必要性は極めて高いと考えられる。
討論者の Kalaycioglu 先生からは、いくつかの重要な問いが提示された。第一に、特に正義との対比において、和解とは何を意味する概念なのかという根本的な問いである。和解はしばしば正義と対置され、その関係は相容れないものとして理解されがちである。浅野先生の言葉を借りるならば、和解とは社会に一定の秩序(「未来予見性」ともいえる)をもたらす営為であり、その過程には少なからずも「正義」の抑制が不可避的に内包される。「正義」の追求という営みが大きな社会変革をもたらしてきたことは、歴史が繰り返し示してきたところでもあり、それと和解の関係は簡単に結論付けることができない。日韓文化財問題もまた、しばしば「正義の追求」という文脈において語られ、現実のアクティビズムとしても展開されている。その意味において、正義との関係を踏まえつつ和解の定義を問い直すこの問題提起は、本研究に対して極めて批判的かつ建設的な示唆を与えるものであった。
国際和解学プロジェクトにおいては、和解を「政府間和解」「国民間和解」「市民間和解」の三層に区分し、とりわけ国民間和解に重点を置いている。ここでいう国民間和解とは、対立関係にある国民国家において、国民を成立させる力学そのものが双方において相互的に変容していくプロセスを意味する。それゆえ和解とは、単に表面的な対立の収束や友好的政策の実施を指すものではない。正義という概念自体は強固な規範的地位を保持しているものの、その具体的意味は時代や地域によって変容しうる。本研究が依拠する和解概念においては、まさにその意味で正義の意味内容そのものが変容しうるのである。複数の正義の併存を前提とし、それらを可変的なものとして捉え直す点に、この和解概念の独自性がある。
さらに Kalaycioglu 先生からは、ローカルな和解事例をいかに評価するかという問いも提示された。本報告で扱った対馬仏像の事例においては、当初激しい対立関係にあった日韓の寺院が、数年にわたる対話と交渉を通じて徐々に融和的関係へと転じ、最終的には日本側が韓国側に対し、仏像を伴う宗教行事を許可し、返還後にはレプリカの送付が行われるなど、ローカル・レベルにおける和解的実践が確認された。しかしながら、本報告が焦点を当てた国民的次元から評価するならば、これらのローカルな和解事例は国民間和解の文脈においては限定的な影響にとどまったといえる。
第一に、当該事象は日韓の世論を変化させるほどの影響力を持たず、すなわちローカルな実践がナショナルな変容へと繋がることはなかった。もっとも、このことはローカルとナショナルという次元の間に越えがたい断絶が存在することを意味するものではない。ローカルな融和がナショナルな議論と結びつくことで、世論レベルにおける変容を促す可能性は依然として残されているといえよう。以上から、どのような条件下でローカルがナショナルな次元に影響を及ぼすのかという問いが生じる。第二に、日韓寺院の行動面においては融和的関係が成立したものの、両者の仏像に対する認識および背後の歴史認識自体には変化がなく、主体の相互的変容を和解と捉える定義からすれば、必ずしも完全な意味で和解的であったとは断定できない。この事例から、法的・政治的帰結は人々の歴史認識に直接影響するとは言い難く、むしろ本件はその限定性を示すこととなった。だからこそ、個々人の歴史認識ないし集団としての言説の変容に着目する意義があるといえる。
紙幅の制約上ここで紹介し得なかった他の質疑応答もまた極めて刺激的であり、今後の研究を深化させる上で重要な示唆を与えるものであった。最後に、本大会への参加は研究上の知的発展のみならず、国際的ネットワークの構築という点においても極めて有益であった。先述のパネルには、日本国内では必ずしも接点を持つ機会の多くない研究者が参集し、また夜間には複数のレセプションが開催された。特に3月12日に実施された Graduate Student Reception においては、国際的かつ学際的な同世代研究者との交流を通じて、新たな研究ネットワークを形成することができた。個人的には、数年後に予定している韓国での研究留学を視野に入れ、現地において多様な支援を提供してくれる研究仲間と出会い、貴重な情報を得る機会ともなった。改めて、このような機会を与えてくださった国際和解学プロジェクト代表の浅野豊美先生をはじめ、関係各位に対し、ここに深甚なる謝意を表したい。
