ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2024アッシジ

イェナ・アッシジイベント(2024年6月28日~7月5日)参加報告書

パウ・シアン・リアン

2024年7月

早稲田大学現代政治経済研究所 特別研究所員

イェナ(ドイツ)とアッシジ(イタリア)へのスタディツアーは、私にとって非常に刺激的で視野を広げる体験となりました。この旅を通じて、新たなアイデアや思考、観察を学び、多くの新たなネットワークともつながることができました。本報告書では、私が発表した研究内容、得た新たな知見、そして受けた観察について述べます。

二つの会議(イェナ&アッシジ)

6月28日、イェナ和解研究センターの設立11周年記念イベントに参加し、和解に関する理論やアプローチ、信仰の役割、ジェノサイド後の状況について学びました。7月1日から5日までは、国際和解学会(IARS)の第5回会議に参加しました。この会議には世界中から哲学者、学者、実務家たちが集まり、自らの研究や成果を発表しました。私にとって、非常に感動的で圧倒されるような経験でした。この場で私は、「ミャンマーにおける革命後の移行期正義政策の分析」というテーマで研究発表も行いました。

研究発表内容

この研究は、ミャンマー国家統一協議会(NUCC)の移行期正義合同調整委員会によって策定された「移行期正義政策」の批判的分析です。この政策は、2024年の第2回国民大会で採択されました。この政策の目的は、ミャンマーにおいて、革命(暫定)期、移行期、そして連邦民主主義体制下で安定した時期に、正義を実現するための措置を講じることにあります。分析発表では、政策文書の精読、既存の移行期正義政策フレームワークとの比較、政策立案に関わった人々へのインタビュー、そしてミャンマー国内の政治状況の実地観察に基づいて行いました。

研究の動機

このテーマを選んだ理由は複数あります。第一に、ミャンマーで3年以上続いている革命により、苦しみ、残虐行為、不正義が増大しており、移行期正義政策は被害者たちにとって最後の希望となりうるからです。この政策によって、犠牲や苦しみが無駄にならず、体系的に記録されることが期待されています。第二に、この政策の存在は、革命側の勢力にも「自分たちもルールや法に従う必要がある」という意識を促すものとなります。第三に、実務家・研究者として、将来政策に関わる者として、この政策を深く理解することが自らの課題であると考えたためです。したがって、この研究の中心的な問いは、「なぜミャンマーには国際基準に沿った移行期正義政策が必要なのか」「その適用における潜在的な課題は何か」を明らかにすることでした。

発表内容の詳細

移行期正義という概念は、これまで三つの段階を経て発展してきました。

第一段階(1920年~ホロコースト裁判)は、1920年にドイツのライプツィヒにおける最高裁判所によって始まりました。この段階では、責任追及と処罰が中心となり、最終的にはホロコースト裁判へと至りました(Mihai, 2010)。

第二段階(1970年代後半~1990年代初頭)は、ソビエト連邦崩壊後の政治変動を受けて起こり、この時期には、刑事訴追、恩赦、リュストレーション(公職追放)、補償、真実和解委員会の設置など、移行期正義に対する多様なアプローチが見られるようになりました(Buckley-Zistel, 2009;Mihai, 2010)。

第三段階(1993年以降)は、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(1993年)やルワンダ国際刑事裁判所(1994年)、さらには国際刑事裁判所(ICC)の設立(1998年)によって特徴づけられ、国際刑事司法がさらに制度化されました(Buckley-Zistel, 2009;Mihai, 2010)。

ミャンマーの移行期正義政策は、この第三段階における国際的な実践に基づいて策定されたものです。学者たちは(Eisikovits, 2013;Okimoto, Wenzel & Feather, 2012)、移行期正義を二つの側面に分類しています。第一に、「応報的正義(Retributive Justice)」です。これは過去に焦点を当て、重大な人権侵害を行った加害者を処罰し、不処罰文化に対抗することを目的としています。第二に、「修復的正義(Restorative Justice)」です。こちらは未来志向で、真実の告白、謝罪、補償を通じて被害者の尊厳回復を目指し、被害者と加害者の関係を修復し、平和を実現しようとするものです。

ミャンマーの移行期正義政策は、真実探求、司法、補償、制度改革・再発防止という「四つの柱(four-window mechanism)」を採用し、国際的な移行期正義フレームワークと整合しています。しかし、いくつかの課題も存在します。たとえば、

  • 1948年、1988年、2007年、2021年に起きた犯罪行為の監視に関する具体的なタイムフレームが定められていないこと
  • 一般市民が「英雄崇拝」に傾きがちであり、規則や法規範への遵守意識が弱いこと
  • 革命後においてパートナーと対立勢力間の信頼が極めて低いこと

などが、重大な脅威となり得ると指摘しました。

コメントと考察

今回の会議では、私の発表に対して直接のコメントはありませんでしたが、ミャンマーの革命を支援している人々の存在を見ることができ、非常に嬉しく感じました。自己反省としては、学術的・概念的・理論的な議論の部分を大幅に向上させる必要があると痛感しました。和解という概念自体が、ミャンマーの学術環境においてはまだ非常に新しいものです。そのため、私はイェナ会議とアッシジ会議を通して、できる限り理論的な議論やフレームワーク、和解概念全体を徐々に吸収するよう努めました。

新たに学習者としてこのスタディプロジェクトに参加し、実務家でもある私にとって、コロンビア、日本と韓国、ブルンジにおける和解実践と経験は非常に啓発的なものでした。特に、デオグラティアス・マルフキロ氏の発表「許しに『イエス』、しかしまずは正義を」が非常に興味深かったです。この会議で取り上げられたトピックや講義は、私の将来の研究テーマである「平和と正義に向けて:革命後のミャンマーのための和解戦略」にとって非常に価値あるものとなりました。この研究では、国際社会における和解に関する規範、価値、実践を検討し、革命後の時期における適用を設計することを目指しています。

ネットワーキングとつながり

今回の旅を通じて、学術的な学びに加え、初めてマーティン・ライナー教授、カリーナ・コロステリーナ教授、浅野豊美教授、ラウラ教授と直接お会いすることができ、とても嬉しかったです。また、私の博士課程の指導教員である梅森直之教授にも再会できました。カリーナ教授とは、ジョージ・メイソン大学でのポスドク(博士研究員)についても話すことができ、手続きの進展にもつながりました。

さらに、IARS会議には60人以上の学者たちが参加していたため、私は自国の革命状況についても発表し、広く訴える機会を得ることができました。彼らの発表からアイデアを得られただけでなく、多くの方々から精神的な支援も受けました。

ある修道女の方が私に近づき、「頑張ってください、私たちはあなたのために祈っています」と声をかけてくださったことは、本当に励みになりました。

新たな発見と新たな記憶

今回の会議を通して、和解という概念は単に政治学の分野だけに属するものではなく、社会科学、神学、歴史、国際関係学、法学、教育学など、さまざまな分野にまたがる学際的な概念であることに気づかされました。和解は、私が当初考えていたよりもはるかに深い概念であり、平和、正義、信頼、真実、そして許しといった要素も含んでいます。つまり、非常に広範な概念であると実感しました。

また、ナチス強制労働記念館とブーヘンヴァルト強制収容所を訪れた際には、過去に起きた非人道的な行為を目の当たりにし、自分の母国で現在起きている状況とも重ね合わせながら、複雑な思いを抱きました。過去から学ばなければ、歴史は現在において再び繰り返されてしまうかもしれません。このような博物館は、過去の過ちを認識し、未来の世代が同じ過ちを繰り返さないよう、保存し、大切にしていく必要があると強く感じました。

一方で、旅の間、母国から革命や革命活動に関する最新情報が絶えず届きました。
そのため、講義中に重要な電話に出なければならないこともあり、時には午前3時や4時に起きて会議に出席する必要もありました。しかし、これらの制約を何とか乗り越え、旅を無事に終えることができました。

総じて、このスタディツアーは、私にとって本当に目を開かされるような、実り多く生産的な経験となりました。私はこの和解学プロジェクトと、そのリーダーたちに心から感謝しています。