ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2024アッシジ

和解と暴力

片山 夏紀

2024年7月

都留文科大学 専任講師テニュア

(一部、編集者の権限で文章を修正しました。また、6月上旬に本報告書が公開された際に、誤って不適切な文書となっていたことを、片山先生と読者の皆様にお詫びしますー浅野)

今回の研修を兼ねた国際和解学会への参加にあたっては、2024年6月26日に出国し、6月27日〜30日にドイツ滞在、7月1日〜6日にイタリア滞在、7月7日に帰国した。ドイツではフリードリヒ・シラー大学イェーナ(Friedrich Schiller University Jena、以下「イェーナ大学」)和解学センター(The Jena Center for Reconciliation Studies、以下JCRS)11周年記念式典に参加し、イタリアではアッシジで開催された国際和解学会(International Association for Reconciliation Studies、以下IARS)第5回年次大会(5th Annual IARS Conference)に参加し、研究発表を行った。
この研修を主催したプロジェクト、セミナーを主催した大学、および参加した学会をみると、キーワードは「和解」である。この研修で最も有意義だったことは、和解と、その対極にある暴力の両方について考える機会を得たことだった。以下、それらについて考えたことを順に述べる。
最初に和解について考えたのは、JCRS記念式典【写真1】で行われた次の研究発表である。アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク(Albert-Ludwigs-Universität Freiburg)のクリスティーナ・シュリーサー(Christine Schliesser)研究員による研究発表「ルワンダジェノサイド後の和解の旅における宗教の役割」(The Role of Religion in Post-Genocide Rwanda’s Quest for Reconciliation)は、ルワンダにおけるジェノサイドの被害者と加害者の和解を問う発表であった。

【写真1】JCRS記念式典 2024年6月30日撮影

シュリーサー氏の発表内容を報告するうえで、ルワンダの背景を述べる。アフリカ東部内陸に位置するルワンダでは、1994年にフトゥ急進派がトゥチに対するジェノサイドを起こした。トゥチ50万人以上が犠牲になり、また、ジェノサイドに反対したフトゥとトゥワも多数殺害された。トゥチ、フトゥ、トゥワはもともと牧畜民、農耕民、狩猟採集民を指したが、ベルギーの委任統治下で民族として固定された。
シュリーサー氏の研究は、ルワンダジェノサイドで引き起こされた民族の分断を信仰で修復する試みに焦点を当てている。発表では、次の事例が挙げられた。まずは、宗教の赦しと和解の教義にもとづき当事者間の関係が修復されている事例である。次に、伝統的な文化にもとづき、被害者と加害者が牛を贈り合う事例である。ルワンダでは王国時代から牛が重宝され、牛を贈り合える関係は信頼の証とされる。
シュリーサー氏が発表した事例は、個人レベルの和解の成功例である。しかし、関係が修復されない事例も実際にある。というのは、私もルワンダを研究しており、ジェノサイドの被害者と加害者に聞き取り調査を行い、集めた事例の多くは個人レベルの和解の難しさを示していたからである。なお、私の研究内容については後述する。
シュリーサー氏による信仰の発表に関連し、私がルワンダで聞き取った事例を1つ挙げる。現地で知り合ったルワンダ人司祭は、ジェノサイドの被害者遺族について次のように述べた。「信仰が篤い遺族は、神の教えに従い、加害者を赦し、和解しようとする。しかしそれは、遺族にとってどれほど過酷なことだろうか?」
司祭の証言を補足すると、被害者は、ジェノサイド前から同じ村で関わり合い暮らしてきた者に殺害された。加害者は刑期を終えると、村に戻ってくる。被害者遺族は加害者と日常的に顔を合わせ、暮らしていかざるを得ない。司祭は「遺族の心情を察すると、加害者と和解するよう助言することは酷である」と述べた。この事例は、信仰の役割の限界を示しているといえる。
シュリーサー氏の発表では質疑応答の時間が設けられず、和解に関する議論を深めることができなかったため、式典後に私は直接このことを彼女に話し、次の回答を得た。赦しと和解は、遺族が背負う心の重荷から解放されることであり、信仰を続けることは、それができる日がいつかくると信じることであるという。シュリーサー氏の発表題目が「和解の旅(quest)」であるように、今は道半ばであっても、遺族と加害者が信仰を続ければ、いつかは和解できるという主張である。
シュリーサー氏の主張は、ルワンダ研究者のクラーク(Phil Clark)と同様に、和解できるという前提に立っている 。しかし私の主張は、紛争当事者ではない者が和解を論じることには慎重でなければならないというものである。なぜなら、紛争当事者ではない者が「和解できる」と議論すれば、司祭が言及したような和解し得ない当事者に和解を強いることになるのではないかと私は考えるからである。

イタリア・アッシジのIARSでは、ルワンダジェノサイドの被害者と加害者が和解する難しさについて、現地の農村で行った聞き取り調査にもとづき研究発表を行った【写真2】。1994年に起こったルワンダジェノサイドは、今年で30年の節目を迎え、その間ずっと、政府レベル、地方レベル、個人レベルで和解が試みられてきた。しかし私が着目してきた賠償の制度は、被害者が賠償をあきらめざるを得ない構造をつくり、個人レベルの和解を一層難しくしている。

【写真2】IARSの筆者の研究発表 2024年7月3日撮影

イタリア・アッシジでの国際和解学会2024年

発表内容について少し掘り下げると、私が研究してきたのは、ジェノサイドに加担した民間人の犯罪をローカルレベルで裁いた「ガチャチャ裁判」(ルワンダ語でInkiko Gacaca)である。2002年から2012年まで全国に約1万2,000箇所の裁判所が設置され、法資格をもたない住民が判事として選出され、18歳以上の住民全員が裁判運営に関わるよう義務付けられた。
ガチャチャ裁判は、窃盗罪と器物損壊罪を犯した加害者に賠償支払いを命じた。しかし賠償額は膨大であり、ほとんどの加害者は賠償できなかった。よって、加害者は被害者に賠償を減額または免除するよう直接申し出た。ほとんどの被害者は加害者が賠償できない経済事情を汲み取り、合意した。それにより被害者は賠償を受け取れず、貧困に陥っている。被害者は家族を殺害され、財産を略奪され、賠償すらされず、加害者を赦し和解することはできない。私は現地での聞き取り調査と、首都キガリ市の警察署本部に保管される非公開のガチャチャ裁判記録を閲覧することにより、この実態を明らかにした。なお、2014年〜2016年に調査を実施するにあたり、私はルワンダ教育省および裁判記録を管轄する政府組織「反ジェノサイド国家委員会」の調査許可証を取得した。
私の発表に対して、フロアから次のコメントが出た。まずは、和解のために賠償は不可欠だが、服役中の加害者に代わり、妻や子どもが賠償を負担しなければならない状況は大変厳しいというコメントである。次にブルンジ出身の研究者は、ルワンダ周辺国のブルンジ、ウガンダ、コンゴ民主共和国でも紛争が起こっていることを付け加えた。これらの国々もルワンダと同様に、和解と賠償が課題になっていると彼は説明した。また別のブルンジ出身の研究者は、私の研究がルワンダ語の隠喩表現に着想を得たことに興味を持った。彼女は、私が農村でルワンダ語の習得に励んだことが研究のアイデアを生んだと評価した。また別の研究者は、ガチャチャ裁判が被害者と加害者間の和解を促したと認識していたが、私の発表を聞き、認識が変わった。彼女は私が2年かけて賠償の詳細を調査したことを評価した。

【写真3】人体焼却炉 2024年6月29日撮影

次に、拝聴した発表のうち興味を惹かれたものを詳述する。ジョージ・メイソン大学(George Mason University)のチャールズ・デビッドソン(Charles Davidson)准教授は、「コミュニティに基づく平和創造における赦しと和解」(Forgiveness and Reconciliation in Community-Based Peacemaking)について研究発表を行った。デビッドソン氏は大学から獲得した研究資金を活用し、現在も紛争が続くコンゴ民主共和国(Democratic Republic of the Congo)東部で、50以上の武装勢力の仲介、戦闘員の武装解除、雇用創出に取り組む。
この支援は資金配分が適切に行われなければ、逆に紛争を引き起こす可能性も孕んでいる。デビッドソン氏は「私は普段平和構築者を名乗っているが、現場で戦闘員にAK47小銃を突き付けられると、ただの臆病者(chicken)でしかない」と自虐的に話した。この発言はデビッドソン氏の活動が命懸けであることを示しており、彼がそうまでして戦闘員を支援し続ける理由を知りたいと思った。
私は彼に、彼自身が考える和解とは何かを直接尋ね、次の回答を得た。「もともと戦闘員は、戦闘員になりたくてなっているわけではない。紛争地では仕事がなく、戦闘員になる以外に生計を立てる手段がない。若者が武器を手にしなくて済む環境を創出しなければならない。」デビッドソン氏は、その支援がコミュニティの和解につながると認識している。
このようにIARSに参加できたことで、各研究者にとっての和解の意味を知り、その知見を自身の研究に活かす機会を得た。

最後に、和解の対極にある暴力について記す。これについて考えたのは、ドイツのブーヘンヴァルト強制収容所(Buchenwald Concentration Camp)を訪問したからである。この収容所は1937年に建設された。ナチスの政治思想に反対した者、囚人、同性愛者、エホバの証人、ユダヤ人、ロマの人々など、50か国から28万人がここに強制移送された 。親衛隊は収容者を強制労働させ、人体実験を行い、約5万6,000人の命を奪った 。
過去の過ちを認め繰り返さないため、強制収容所が残されており、そのなかに処刑場と人体焼却施設がある。地下室で絞首刑された遺体は地上にリフトで運ばれ、焼却された【写真3】。遺体を焼却する焼却炉は、民間会社がゴミ焼却炉をもとに開発した 。遺体が埋葬されず焼却された理由は、膨大な遺体を迅速に片付けるためと、人体実験や病気で亡くなった収容者の遺体を触りたくなかったためだと聞いた。

最も目を引いたのは、強制収容所と親衛隊の敷地を隔てる門扉に赤字で彫られたJedem Das Seine(各人に各人のものを)という格言である【写真4】。これはもともとローマ法の平等と正義の普遍的権利を表し 、プロイセンの最高勲章にも刻まれた。この格言が強制収容所に掲げられていることに、まず違和感を覚えた。ここで行われた筆舌に尽くしがたい残忍な行為は、この格言が本来意味する平等や正義とは全く相容れないからである。
なぜこの格言が、収容者からも見えるよう透かし文字で扉に彫られたのか。これが私の最大の疑問であった。Jedem Das Seineは、「身分相応」とも訳される。囚人やユダヤ人が、この強制収容所に入れられることが「身分相応」とされたのか。強制労働することが囚人やユダヤ人の「普遍的権利」であるとされたのか。ナチスはこの暴力を正当化するために、この格言を敢えて掲げたのではないかと私は考える。

【写真4】正面玄関扉に彫られた格言 2024年6月29日撮影