ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2025 アメリカ サマーセミナー

サマースクール2025参加記

重松 尚

東京大学・日本学術振興会 特別研究員CPD

重松尚

(日本学術振興会特別研究員CPD/

ヴィータウタス・マグヌス大学提携准教授/

明治学院大学研究員)

 

 2025年9月後半、米国ワシントンDCおよびヴァージニア州アーリントンにて開催されたサマースクールに参加した。サマースクールは主にアーリントン市内にあるジョージ・メイソン大学カーター平和紛争解決スクールで行われたほか、一部日程は、在米日本大使館、German Marshall Fund of the United States、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館などでも行われた。リトアニアにて長期在外研究を行っている私にとっては、今回このサマースクールに参加したプロジェクト・メンバーのほとんどとは対面で会い意見交換できる初めての機会となった。また、国際和解学プロジェクトの提携機関であるジョージ・メイソン大学カーター平和紛争解決スクールの関係者にも直接お会いし、和解学などについて意見交換することができた。そのほか、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館ではジョージタウン大学の樋口敏広先生などからも、さまざまな貴重なお話を拝聴する機会に恵まれた。

 今回のサマースクールでは、最初の2日間でジョージ・メイソン大学カーター平和紛争解決スクールの教授4人によるワークショップが行われた。ここでは、前年、ドイツのフリードリヒ・シラー大学イェナのもとに設置されているイェナ和解学センター(JCRS)にて行われたサマースクールにおける講義内容との違いについて述べておきたい。和解学という分野の特性上、必然的に学際的なアプローチが必要となり、イェナでもカーター・スクールでも学際的なアプローチを重視しているという点は共通していた。しかし、イェナでは、解決すべき具体的な事例が先行して設定され、その解決のために学際的かつ実務的なアプローチを検討するという順序で論じられていたのに対し、カーター・スクールでは、登壇された先生方のうち何人かは、教育学や哲学といったようにそれぞれ特定の専門領域の観点から和解について論じられた。研究という観点からは、実務上の貢献を前提として研究を行うことで研究上の問題を引き起こすおそれがある(これについて詳しくは前年のサマースクールの参加記に記した)ため、まずは自らの専門領域を基盤とし、それを学際的に応用していくというアプローチで取り組もうとするカーター・スクールの先生方の姿勢は好意的に感じられた。

 サマースクールの最後2日間はカーター・スクール主催のピース・ウィークが開催され、私たちプロジェクト・メンバーはそのなかで発表させていただく機会に恵まれた。私は、今回の発表では、中東欧における歴史記憶についての研究に関連して、歴史記憶のあり方に関する分類法の分類を試みた。特に、どのような歴史的事実を重視するのかという記憶の内容に関する側面と、複数の記憶を許容するか否かという形式に関する側面とを切り分けて考察すべきと主張した。これに対してコメンテーターを務めてくださったカーター・スクールのKarina Korostelina教授からは、内容と形式の2つを切り分ける必要性には強く賛同していただき、さらに両者をそれぞれの軸とする2次元4象限の表として整理するようご提案いただいた。しかし、形式の面で複数の記憶を許容するという時点で内容も複数存在することになるため、2次元4象限の表のどこかにその内容を位置づけられるようなものでは決してありえない。それが明らかであるからそのような整理を行わなかったわけで、Korostelina教授のご提案は残念ながら考慮に値するものではなかった。ただ、その後このことについて考え直していたところ、パラマストーナメント(ステップラダー)のような図を用いて整理しなおせば、図式的にわかりやすくなることに思い至った。そのような気づきが得られたのも、ピース・ウィークで発表しKorostelina教授からコメントをいただく機会に恵まれたからだと思う。

 今回のサマー・スクールでは、合衆国ホロコースト博物館や国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館にも訪れた。合衆国ホロコースト博物館はすでに何度も訪問したことがあるため、何も新しいことは得られなかった。国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館では、米国の奴隷制と奴隷解放運動に関して以前から疑問に思っていた点をジョージタウン大学の樋口敏広先生に尋ね、非常に丁寧に解説していただいたおかげで視野も広まった。ただ、博物館に滞在できた時間が短かったため、すべてを見て回ることができなかったのは残念であった。

 ワシントンDCのナショナル・モールやアーリントン国立墓地には非常に多くの歴史モニュメントがある。今回の滞在中には時間が許す限り多くのモニュメントを見て回ったが、そこで感じたのはヨーロッパとの大きな違いである。ドイツ出身の歴史学者ジョージ・L・モッセは、第一次世界大戦後に自国のために亡くなった兵士のためのモニュメントがドイツなどヨーロッパ諸国で相次いで建造されたことを著書『英霊——創られた世界大戦の記憶』のなかで指摘している。しかしそれは、各国のナショナリズムを高揚させることとなり、第二次世界大戦へと帰結した。そのため、第二次世界大戦後は、このようなモニュメントの建造は進まなかったという。それが現在の欧州統合につながっているわけである。ただし、「大祖国戦争」の勝利を謳うロシア(ソ連)はその例外で、ロシアでは第二次世界大戦後に自国の兵士や民間人の犠牲を称えるモニュメントが多く建造された。ワシントンDCやアーリントンで第二次世界大戦や朝鮮戦争、ヴェトナム戦争などにおける自国兵士の犠牲を称えるモニュメントを数多く目にするなかで、米国の状況をヨーロッパと比較すると、歴史記憶をめぐる状況はヨーロッパとは実にロシアに似ているように思われる。特に、第二次世界大戦に関するモニュメントは、ロシアをはじめとする旧社会主義圏にあるモニュメントと多くの類似点を有しているように感じた。和解学に携わる私たちは、このようなモニュメントが果たす英霊の顕彰という役割が、ナショナリズムをさらに高揚させ、来たる次の戦争における兵士の犠牲を称揚していることには自覚的であるべきであろう。

以上