ニューズレター・エッセイ

Newsletters and Essays

和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2025 アメリカ サマーセミナー

ワシントンでの旅行記

全 汝株

東京大学 講師

※This Japanese translation was generated using ChatGPT from the original English text, and I have personally reviewed and edited it for accuracy and tone. Please excuse any remaining inaccuracies or awkward phrasing.

1.歴史と平和の交差点にて ― 市民運動と理想と現実のせめぎ合い

 歴史、記憶、そして平和の関係は、しばしば「対立的でありながら変容をもたらすもの」として語られてきました。多くの場面において、市民運動や公共の議論は、歴史的不正義を想起し、和解し、あるいは時には政治的な交渉を通じて再生産してしまう場となってきました。これらの交差点は、歴史が単に過去のことではなく、現在のアイデンティティ、正義、共生をめぐる闘いでもあることを私たちに思い出させてくれます。

 グローバル・ヒストリーの一員として、私は人々が未解決の歴史問題にどう向き合い、そのような対立的な土壌の中でいかに平和を構想しうるのかに強い関心を抱いてきました。今回の出張を通じて特に注目したのは、市民運動が正義をめぐる理想的な言説と利害の現実的な交渉との交差点でどのように機能しているかという点です。多様な議論を聞き、対話の場に身を置くなかで、平和の追求が理想と同時に日常の現実に根差していることを改めて実感しました。

 今の私の考えは、市民運動を「歴史的対立を解決するための手段」という枠を越えて、「和解の理想と政治的妥協の現実が絶えず交錯する動的な空間」として捉える方向に傾いています。

2.9月17日 カーター・スクール IIRSセミナー 「Reconciliation at Classes」

 このセミナーでは、個人的な和解と集団的な和解の関係について質問を投げかけました。私の考えはこうです。深く傷ついた人は、しばしば世界を歪んで見てしまう。痛みは他者に耳を傾ける力を奪い、愛する能力を蝕み、時には他者や自分自身への暴力に至ることもある。特に幼少期に十分な愛情を受けられなかった場合、「愛されたいのに愛されなかった」という傷を抱えたまま成長し、自己を愛せなくなることが多いのです。

 しかしそこにも転機はあり得ます。たとえば子どもが親を心から理解し、赦すとき、その瞬間に生じる和解は、親との関係だけでなく、自己との和解、さらには世界との和解へと広がっていきます。このような個人的な癒しのプロセスは、集団や社会の和解を理解するための比喩になり得ると私は考えました。そこから私は問いを立てました。「愛を欠いた個人的な経験、そして赦しの可能性は、どのようにして集団的な和解を理解する助けとなるのか」。

 さらに私は教育的な試みとして、学生に二つの短い文章を書かせることを提案しました。ひとつは友人や家族への個人的な謝罪文、もうひとつは国家が歴史的不正義に対して発するような公的謝罪文です。こうした練習を通じて、個人的な和解の経験が社会的な和解の理解にどのようにつながるかを学ぶことができるのではないかと。

 マーク・ゴーピン教授は、この「和解教育の社会実験」という発想を追求するよう励ましてくださいました。特に、謝罪やリーダーシップの手本を示すことの重要性を強調されました。教授はまた、公的謝罪のモデルは「恥の重荷」を軽くし、むしろ未来志向の可能性を開く形で開発されるべきだと説かれました。教授の助言は、和解のプロセスが未来を見据え、反対や批判に耐えうる強さを持ち、「私たちは何を変えられるのか」という想像的な問いかけに根ざす必要があることを再確認させてくれました。

 このセミナーは、個人と政治の深いつながりを改めて思い起こさせてくれました。つまり、個人的な傷と癒しが、社会が怨恨の連鎖を乗り越える道を照らすということです。和解教育は過去の失敗を分析するだけではなく、未来を鼓舞するリーダーシップや謝罪、赦しの建設的なモデルを育むものでなければならない――そう気づかされました。

3.9月18日・22日 ピース・ウィークにおける発表とフィードバック(カーター・スクール)

 18日にはダニエル・ロスバート教授と対話する機会をいただきました。教授は日本が1945年以降、軍国主義から平和主義へと大きく転換したことを強調されました。私は、日本では民主主義や平和の価値が制度としては早くから根付いた一方で、歴史意識が社会に広がるのは遅れたのではないか、と自分の研究を踏まえて応答しました。例えばある日本の学者は、伊藤博文の肖像が紙幣に使われていることの象徴的意味を留学生との出会いを通じて初めて実感し、それが市民運動研究に人生を捧げるきっかけとなった――そんな話を共有しました。教授はこれに励ましをくださり、制度変化と社会意識の間をつなぐ研究は有意義な貢献になると評価してくれました。

 午後には、自身の章のアウトラインを発表し、貴重なフィードバックをいただきました。カリーナ・コロステリナ教授からは「和解を多層的に構造化して考えるべき」との助言を、ジェフ・ヘルシング教授からは「和解の定義、目的、達成度といった基本概念をより明確にすべき」との指摘を受けました。

 22日の発表ではさらに多くの議論を得ました。民主化と集団的記憶の関係に焦点が当たり、民主化はしばしば古い対立を解消するどころか新たな対立を生むという事例(イタリアなど)が共有されました。民主主義の制度設計によって記憶との関係が異なること、それが自由民主主義の可能性と限界を同時に示すことを学びました。また「民主主義の正義」が国内外にどう影響を及ぼすのかを深く考える必要性も感じました。

 さらに、社会行動理論の導入、ドナーの役割や市民運動への影響、日本国内に存在する複数のナラティブ、焦点とするアクターの明確化など、理論的・方法論的な提案が数多く寄せられました。

 これらを総合して痛感したのは、市民運動の定義をより精緻にし、理論と比較事例を体系的に結びつける必要があるということです。同時に、アクター、ドナー、ナラティブ、制度の相互作用に焦点を当てることで、記憶と民主化が交差する仕組みに新しい理解をもたらせるという可能性も確信しました。

4.9月21日 ワシントンD.C.にて ― 追悼碑と記念碑への考察

 ベトナム退役軍人記念碑に立つと、その膨大な犠牲者数に圧倒されますが、デザインは単一の感情を押しつけるものではありません。悲しみや被害者性を前面に出すのではなく、失われた命の記録と記憶への静かなジェスチャーに留まっています。

 この枠組みは、アメリカにおける戦争記憶のより広い傾向を映しています。勝利と犠牲が国の繁栄の礎として語られ、感謝が支配的な感情となっているのです。その語りは、多くのアジアの文脈で見られる「苦難や喪失、責任の未解決」を強調する記憶とは対照的であり、明快かつ揺るぎない印象を与えます。

 しかし印象的なのは、アメリカの戦争で被害を受けた他国の人々がそこに存在しないことです。記念碑はほぼ専らアメリカ兵士を追悼するものであり、外国の犠牲者の経験に目を向ける余地はほとんどありません。つまり記憶は選択的であり、国の犠牲を讃える一方で、戦争の広範な帰結は置き去りにされています。

 この対照は、戦争記憶の複雑さを際立たせます。勝者にとって記憶は誇りと感謝として枠づけられ、犠牲を負った側にとっては未解決のまま残されることが多い。このパターンは、戦争に関する国民的ナラティブが過去だけでなく現在の政治的必要にも左右されていることを物語っています。

5.最終日のセッション ― 「橋をかける」学び

 今回の出張の最終日に参加したセッションでは、「境界を超えて橋をかけること」の大切さを改めて学びました。言語、学問分野、文化の違いはしばしば対話を難しくしますが、同時により深い説明や背景の共有、真摯な研究的関与を生む契機にもなります。

 個人的な学びとしては、和解の取り組みには学際的なアプローチが必要であると強く感じました。政治的・歴史的分析に加え、人間の感情や心理的次元をも組み込むことが不可欠なのです。ある学生が「癒しは個人レベルで起こる」と語ったとき、その言葉は深く胸に響きました。癒しはしばしば、小さな出会いから始まります。物語を共有すること、耳を傾けること、他者がどう感じ何をしているかに真摯に関心を寄せること――別の参加者ユリコの言葉がそのことを思い出させてくれました。

 グループの多様性は「省察そのものの価値」を浮かび上がらせました。異なる視点に注意を払うことで、学びや癒しが個人と集団の双方でどのように進むのかをよりよく理解できたのです。私にとってこのセッションは、分断を越えることが単なる知的営みではなく、共感、傾聴、そして開かれた心というきわめて個人的な実践であることを再確認させるものでした。