ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2025 アメリカ サマーセミナー

国民的価値を巡る対立と和解への示唆

池上 慶徳

国際基督教大学 修士課程

1.はじめに

今年の国際和解学プロジェクトのサマースクールは9月16日から約1週間に渡り、政策立案の中心地であるアメリカはワシントンD.C.で行われた。この機会への参加に際して、「国際和解と国民的価値」というテーマを自分の中で設定してきた。和解学では、東アジアの国際紛争に対して、国民国家を形成する国民形成の力学を踏まえて分析し、そこでは国民国家を可変な存在として捉えている。そのようなアプローチでは、常に国民的価値が重要な変数として扱われ、より具体的な検討が求められる。今回のサマースクールは(昨今では皮肉と言われなくもないが)「自由の国」という確固たる国民的価値を有するアメリカでの開催であった。揺れる星条旗に強い愛国心で知られるその御国柄を踏まえ、国際和解について国民的価値を中心に再検討するべく、このサマースクールに臨んだ。

実質的に現地で活動できたのは7日間であり、ジョージ・メイソン大学(GMU)のカータースクールとの共同研究会がその主眼であった。その他、日本大使館やジャーマン・マーシャル財団への訪問や、ワシントンD.C.にある博物館や記念碑の数々を巡る機会に恵まれた。下記では、先述の自分のテーマに特に関連する箇所を中心に、この地における私の学びの一端を紹介する。

2.国民的価値の「意味」の抗争:アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館にて

ワシントンD.C.には様々な記念施設があり、今回のプログラムではリンカーン記念堂、第二次世界大戦記念碑、ホロコースト記念博物館、朝鮮戦争戦没者慰霊碑などを訪れた。その中でもとりわけ関心を持ったのは、アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館であった。特に18世紀後半のアメリカ合衆国建国と憲法の制定、その後の憲法修正第14条から1896年のPlessy判決、そして公民権運動やBlack Lives Matter運動に繋がる一連の「抵抗の歴史」に関する歴史的流れは、非常に興味深く思った。

この人種差別の歴史は一般的に「不正義への抵抗」という文脈で語られ、実際に博物館での展示全体ではそのような語りが見られたのだが、個人的には「国民的価値」という視点から捉え直す試みをしてみた。つまり、この「抵抗の歴史」とは同時に「国民的価値を巡る闘争」、とりわけ自由の国であるアメリカの「平等」という価値の意味について、争われた歴史であったと解釈した。人種差別を巡る様々な言説について争われた歴史である中、その凡ゆる言説の根幹には「アメリカは自由の国で、人々は平等である」という揺るぎない国民的価値が前提としてあった。つまり、論争の本質とは「“人々”は誰で、“平等”とは何か」であった。それは言い換えれば、特定の用語で表現された価値における「意味」についての争いであったといえる。用語上は建国当初から揺るぎないものの、その意味の抗争がアメリカの歴史上で行われてきていることをこの博物館は明瞭に展示していた。

この点は、国際和解学に対して大変重要な示唆を与えていた。何故なら上記の現象は、日本でいう「平和」や「豊さ」、韓国でいう「抵抗」や「独立」という国民的価値とも無縁ではなく、時代を追うごとにその意味が変容する可能性を示唆しているからである。つまり、仮に言葉としての国民的価値が一貫していたとしても、その意味には変容する可能性が秘められており、ひいてはそれが和解の可能性ともいえる、ということである。

その意味において、本博物館では幾つかの注目すべき事例を見ることができた。それは、抵抗として国民的価値自体を放棄せんとする動きであった。例えば、それは1896年のPlessy判決後に現れた合衆国憲法自体を放棄しようとする一派が典型例である。それは「この憲法は自分たちを守らない故に不正であり、ひいては自分たちはこの憲法を放棄する」といった言説である。その点、過激思想と位置付けられることもあるマルコムXの一連の運動については、それがアメリカの国民的価値と連動していたのか、もしくはそれへのアンチテーゼとして謳われていたのか、不明瞭なところであった。このような事例の詳細な分析をすることで、国内における対立が如何に国民的価値と関わるのか、その現象や条件の解明に通じるのではないかと思った。

3.研究発表:日韓文化財問題の概観と意味、そして国内の価値対立

 サマースクールの7日目となる9月22日、GMUの恒例行事となっているPeace Weekの一企画として、国際和解学プロジェクトのメンバーと共に自分の研究を発表する機会に恵まれた。一人10分の持ち時間で限られた内容に絞らざるを得なかったが、普段交わることのないオーディエンスに向けて発表することができた。

 私の発表は日韓文化財問題について行った。持ち時間や聴衆の関心も踏まえ、本発表では個別具体的な研究内容というよりも、問題の全体像や問題が持つ意味について、広い視座から論じる内容であった。文化財とは集合的に価値付けされたもので、間主観の次元で構成されるという前提の元、近代以降は国民国家の形成の力学と深い関わりがあるという構図を冒頭に提示した。それに続いて日韓の文脈に入り、日韓文化財問題は「日韓関係は脱植民地化されたのか」という問いに向き合うことであることを主張し、本問題の和解学に対するより広い示唆として「文化財は国民的価値の産物でしかないのか、文化財は国民的価値の変容に資するのか」という問いを提示した。後半では日韓それぞれの歴史認識と集合的記憶、そして文化財に付与される価値や語りの関係性を説明し、文化財問題が如何に両国の国民形成の力学の衝突として理解できるのかを図式と共に議論した。

 討論者は「Identity Based Conflict」でも著名なGMUのKarina Korostelina教授で、彼女からは和解を研究する上で非常に面白いテーマとして、僭越ながら太鼓判を頂いた。その上で、国際的な価値の対立のみならず、国内における価値の対立も含めて包括的に議論をするべきという指摘を頂いた。今回の発表では触れられなかったものの、その点の重要性に同意すると共に、前半に触れた本サマースクールでの個人的な問題関心とまさに重なる点であり、今後の研究で深めたい点であると再認識した。実際、日韓文化財問題では国内の次元においても、様々な価値が付与される事例が見られる。例えば、本問題の中で有名な「小倉コレクション」について、東京国立博物館や美術の専門家による価値と韓国への返還を促す市民運動体の価値は異なり、更に同コレクションが一時期保管されていた千葉県・習志野市ではまた異なる価値が見出されている。それが国民的価値ないしその価値の意味と如何に連動するのか、また如何にそれが国際紛争として衝突するのかなど、今後の研究で明らかにしたい箇所が明確になった。

 時間は前後するが、9月18日に行われたGMUとの共同研究会において、Daniel Rothbart教授は和解を検討するに際して哲学的な問題提起を行った。その一つが存在論的な問題提起であり、彼は実践ないし研究で使用される用語(e.g. 人格、共同体、国家、人類など)がどのように理解されているのか、改めて立ち返るべきであると述べた。そのような社会的・政治的分類が如何に人々の認識を形成し、物事の理解を規定しているのか、その次元からの検討を促した。

 この点について、先の博物館見学や自身の発表とコメントを踏まえ、改めて国際和解学の中心概念でもある「価値」について、根本的なところから整理する必要性を感じた。無論、それは研究する上での土台を形成するという意味であるが、国民的価値と普遍的価値の交差や、いわゆる個人的価値と社会的価値と分類される価値など、まず自分自身が研究者として価値という概念をどのように理解しているのか、その概念が社会的・政治的にどのように理解されているのかなど、未だ自分の中で探索しきれていない点があることに気付かされた。また、それが一部「返還」された際に「和解」としては受け入れられない、日韓文化財問題の幾つかの事象、その裏の力学への説明にもなり得る可能性も感じた。

4.再認識した和解学の位置付け:ワシントンD.C.に来た意義

 今回のサマースクールがワシントンD.C.で行われたことにも意義があった。それは思いのほか、GMUのキャンパス外での出来事でそのように強く思った。その意義を一言で表すと「和解学の位置付けを感じられたこと」であった。

 日本大使館で行われたセッションで、私は歴史的出来事に係る日米の集合的記憶について質問をした。非常に繊細な話題ながらも、有り難いことに担当者からは丁寧なご回答いただいたのだが、その回答では学問的問題意識と実務上の問題意識は異なることを痛感させられた。もちろん、実践も伴う和解学は「地に足のついた学問」である必要があり、机上の空論を語らぬよう務めるべきである。しかし同時に、和解学はある意味で必然的に限定的になりがちな実務上の視野を超越し、国際紛争に対して広い視座から研究されるべきと思った。

 数日後に訪ねたジャーマン・マーシャル財団では、上記で痛感した実務と和解学の点について、政策立案の中心地であるワシントンD.C.で実際に実務に携わる方々から和解学に対する肌感を聞くことができた。やはり、控えめにいっても近々政策に影響するような未来は想像に難く、ワシントンD.C.の人々には響かないようであった。

 そのことは、私がプログラムの空き時間に再会した、アメリカの有名大学で(従来のハードパワー中心の)国際関係を学ぶ友人との会話でも垣間見られた。その友人からは、和解学の前提やアプローチについて懐疑的な評価を受けた。友人の言葉を借りれば「和解の研究は、安全保障や貿易における外交上の失敗の“後始末”のようにみえる」という具合であった。また、軍事や経済の分析に比べ、集合的記憶や国民的価値を中心に行われる研究は「概念的で抽象度が高く、空中戦のよう」に感じられ、従来の国際関係に身を浸す当人からすると違和感を抱くものであったらしい。

 ご周知の通り、和解学が援用するコンストラクティビズムのアプローチは、ソ連崩壊やイラク戦争、米軍のアフガニスタン駐留など、従来の国際関係理論では説明がつかない事象に対する試みとして発展してきた。従来のような国家を不変の存在とする理解ではそのような事例を説明できないことに加え、国際紛争の根本的要因を突き止めることができないという限界にも直面する。まさにその限界を乗り越えるべく、コンストラクティビズムを援用しながら和解学の研究が進められている。そういった意義を改めて実感する機会であったのと同時に、従来のパラダイムで研究をする人々とどのように分かり合い、協調することができるのかという問題意識も同じく抱いた。和解学への他分野からの批判を受け、和解学の立ち位置が自分の中で明確になってきたという意味で、常日頃の研究所から飛び出し、遥々ワシントンD.C.まで足を運んだ意義を感じた。

5.おわりに

 上記は本サマースクールに参加して学んだ数多くの一部である。普段触れることのできないテーマや視点に触れることができたことで、未だ半人前にも届かない状況ながら、自分の研究者としての器が広がった気がした。超学際的であり、複数の正義を前提とする和解学に関わるものとして、様々な環境で学ぶ大切さというのを実感した。

 前段では和解学への懐疑的な声も紹介したが、個人的にはこれらは大変重要な指摘だと理解しており、改めて率直なご意見を共有していただいた各位には感謝したい。未だ国際和解学は発展途上でシンカ(進化・深化)の過程にあるからこそ、批判的ないし理解されない立場の方々とも、積極的に交流できればと思う。

 ところで、帰国便のキャンセルで長丁場の帰路となったが、おかげで本旅での学びを深く振り返ることができた。暫くのアメリカンフードを通じて、野菜の大切さを再認識することもできた(し、ケチャップはトマト由来だから野菜説に至ることができた)。そんなことを思う自分を俯瞰すると、数奇な運命に「積極的な意味付け」していることに気が付いた。一方、国民国家としての記憶と意味付けについては、必ずしもそのような「恣意的」さがある訳でもないと思った。アメリカでの人種差別の歴史が「不正義への抵抗」として集合的記憶と化しているのは、トップダウン的に権力者が規定したというよりも、むしろその「歴史」が「日常生活」であった人々が時代に沿ながら、目下の生活の中で無意識的に育まれた国民的価値との関連を見出してきたことに由来する。日本における広島の記憶も同様の力学で形成され、現在に至るまで語られ続けてきたといえる。それは、歴史的事象が如何なる意味と連動して集合的記憶と化すのかという問題を提起すると共に、単なる「忘却」とは異なる歴史ないし和解への向き合い方を示唆するものである。

 末筆になるが、改めてこの機会にご尽力いただいた関係者各位に心より感謝を伝えたい。国際和解学プロジェクトを代表者として率いる浅野豊美教授や、本プログラムを完璧な企画・運営で完遂したRita Z. Nazeer-Ikeda先生、我々の取り組みに有意義なコメントをいただいたGMUの先生方をはじめ、時差もあり大変なスケジュールのなか協調的かつ刺激的に共に学んだプロジェクトメンバーの各位など、改めて深謝したい。