この度、早稲田大学の国際和解学プロジェクトの活動を通じて、2025年7月14日から18日に韓国のソウル大学校で開催された第7回国際和解学会に参加する機会を得た。本参加記を執筆するにあたり、プロジェクト代表者である早稲田大学の浅野豊美 教授や、煩雑な準備を入念に進めて頂いた小野坂元 次席研究員、川口博子 次席研究員はじめ、この場をお借りして関係者各位に謝辞を述べたい。
冒頭より私事で恐縮ながら、本学会は自身として初めての国際学会であった。国際の舞台で自分の研究が通ずるのかという一抹の不安を胸に参加した今回の学会であったが、しかし事前の予期に反して、実際に自分の力不足を感じたのは学会の「国際性」ではなく、その「学際性」であった。いわゆる社会科学を中心に勉強してきた者として、これまで文学や哲学などの人文系の学術発表を拝聴する機会は少なく、問題設定やそのアプローチ、論理構成や背景知識への順応が思うようにできなかった。この点において、今回最大の苦戦を強いられたといっても過言ではない。多くの人文系の研究発表を十分に理解できなかったことが大きく悔やまれる。和解学自体の学際性を鑑み、自身の専攻における「井の中の蛙」とならぬよう、広い視野で学問に励むことを強く自戒をする契機となった。
私の発表は「Ideals and Realities in the Restitution of Looted Cultural Property as a Symbol of Ideals and Realities in the Restitution of Looted Cultural Property as a Symbol of Reconciliation between Japan and Republic of Korea (ROK)」というタイトルで行われた。日韓文化財問題を主題にしたパネルの報告として行われ、本問題群の中でも重要な事例の一つである「小倉コレクション」に焦点を絞った。具体的には「小倉コレクション」が韓国世論内で「問題化」された2013年に着目し、その問題を引き起こした要因を探究した。結論、同コレクションの現所有者である東京国立博物館が同年にリニューアルオープンされたことが火付けの契機となり、とりわけ新公開の品物が朝鮮史における日本との歴史的関係という観点から非常に重要なロイヤルファミリー関連品であったことが、韓国内で類を見ない注目度となった一つの要因として指摘をした。つまり、韓国における国家的言説を踏まえ、東京国立博物館に新展示された小倉コレクションの一部が、韓国世論内で問題化しやすい要件を満たしていたことを説明した。本発表の主張は、国民国家形成の力学が衝突するという和解学の命題と、結果的に相応する内容であった。
発表後には討論者並びにフロアからの質問があった。ここでは、僭越ながらその中から数点に絞って紹介する。本発表では、アンダーソンを引きながら国民国家を「想像の共同体」として理解し、特に2013年の小倉コレクションの事例において、文化財が国民的象徴として機能していたことを述べた。その点について、韓国籍の方からコメントを頂いた。その方は、政治的枠組みからの分析は必要である一方、それに関わらない史実の明確化の重要性を指摘された。当人からは直接の表現はなかったが、私が類するに、盗難の可能性を実証する研究ではなく、現代社会における現象の分析のみに研究が偏ってしまわないように、それは私への警鐘であったように思えた。日本人として日韓問題を研究する上での、ひとつの心構えを学んだ。
ほかには、世界的な脱植民地化や文化財問題の議論が、如何に日韓の本問題群に影響しているのかという質問を受けた。お恥ずかしながら、本点につき明確な答えをその場で答えることはできなかった。脱植民地化の世界的潮流は、1960年の国連総会決議1514「植民地と人民に独立を付与する宣言」が示すように1960年代頃から大きな波を形成している。とりわけ文化財問題に限ると、無論それ以前にも個別の事例は散見されていたが、大きな話題になったのは2017年にブルキナファソで発されたマクロン仏大統領の声明であったと言われている。慰安婦問題における「問題の国際化」の現象を踏まえると、そのような国際的な流れが日韓文化財問題と如何に関連しているのかを解明することは、今後の研究における不可避的な観点である。
最後に、日韓文化財問題における「モノの移動」は和解学の観点から本質的な解決策であるか、という質問を受けた。私は本質問に対して、「モノの移動」自体が解決策になることはないと断言した。それは、かつての文化財引き渡し/返還の事例から分かる。日韓歴史認識問題には、日韓で歴史認識に関する深い断層が存在する。そこで和解に向かうには、如何なるかたちであれ「深い断層」と関連して取り組みが実施される必要がある。その点、従来の文化財引き渡し/返還の事例の多くでは、その断層を棚上げにしたまま、つまり感情的な変容を伴わない物質的な移動が実施されてきた。一方、個人的には、文化財の「モノの移動」が日韓の深い断層を繋ぐ架け橋として機能することは、もし感情的変容を伴うのであれば、十分にあり得ると考えている。その際、本発表で主張したような対象の文化財とそこに価値を付与する国家的言説の関係を見出すことが必要条件となる。その明確化の上で、両国において対立がない「新たな価値」を文化財上に創出することが、和解への希望であると考えている。以上のような学びの機会に恵まれたことに心から感謝する。