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和解学と和解ー政府・国民・市民の三次元

前回、国際政治学と和解学の違いについて、国民という主権の主体を不変の存在と見るかどうかに違いがあること、国民を統合し国際社会でソフトパワーともなる普遍的価値の国内外での社会的機能・意味やそれと結びつく国民的記憶を、パワーや利益と同様に重視する必要性を述べた。今回は、こうした「和解学」の基本的観点の応用の手始めに、様々な意味で使われる「和解」を概念的に区別し、思考を深める道具として紹介したい。概念の取り違えが、思わぬ誤解、諦め、怒り、侮蔑などの偏見を生み出すからである。

国際和解学会の初代会長である旧東ドイツにあるイェナ大学神学部のマーティン・レイナーは、和解の理論的な定義を戦争・虐殺などの大きな衝撃的な次元の後で関係を結び直していくプロセスであるとするが、東アジアにこの定義を当てはめてみようとすると、たちまち困難に直面する。そもそも国民が国家の主人公であるという政治体制自体が東アジアにおいては西洋の衝撃以後の極めて新しいものであるからだ。

江戸時代の朝鮮通信使に象徴される、前近代の友好的「交流」イメージは、現代の国民間和解には直接には当てはまらない。近代以前の社会においては、何より厳然とした身分秩序が各社会内部に存在しており、儒教に基づいた「礼」の秩序が存在し人々を生まれついた時から区別していた。さらに、政治の正統性も百姓や臣下からではなしに、「天」という超越的存在に置かれていた。そうした「徳」による上からの支配を特徴とする社会同士の交流は、国民皆が平等で人権を有しているという現代の国民的和解の理想とはなりえない。戦争や植民地支配以前に存在していた、戻るべき過去は東アジアに存在しないといって良い。近代の国民形成、ならびに植民地支配と戦争を挟んだ、アジア民主化の重層的な延長線上に今日の我々はあり続けている。

国民間和解を支える要素は、国内で立憲的民主主義を支える要素そのものである。つまり、主権の主体としての国民が共有する記憶、それを選び出している価値、それらと一体となった国民感情である(『和解学の試み』明石書店2021年)。「想像の共同体」として国民意識を喚起せしめるところの、国民に共有される記憶の中核には、各国民が歴史の中で選び取った記憶が存在し、それは普遍的価値と一体となっている。日本であれば、厳かな終戦記念日の儀礼に象徴される「平和」や「豊かさ」という価値と一体となって、「繰り返されてはならない」戦争被害の記憶が呼び覚まされるし、韓国であれば、三一独立記念日に象徴される「自由」や「尊厳」という価値と一体となって、失ってはならない自主や抵抗の記憶が喚起される。価値的には社会全体の繁栄も、個々の自由も、ともに人類全体に不可欠のものであるが、人類の中の特定の集団を、近代的国民として「民主」的に統合する際には、単なる言語や文化ではなしに、社会に共有される公共の記憶と、それを支える普遍的価値が必要である。広く人々の深い感情に訴える記憶と価値の結合が国民を生み出しているともいえる。

市民的和解を目指した市民交流の担い手たちは、こうした国内的な文脈を超え、国内で主流となりつつある価値や記憶への違和感や、異議申し立ての意味をもにじませながら、ある特定のイデオロギーやシンボルに特化して市民交流を推進してきた。「そうした市民の交流の輪が、いずれ国民全体へ波及するならば『本当の和解』は実現する」そのような理想が市民間和解には存在した。

しかし、市民交流が呼びかける社会全体の変化が、かえって国民内部の反発を生み、対立の原因ともなることが多い。反発が起きるのは、人間の「存在論的安心」を確保したいという根源的な欲求、つまりは有機体としての人間意識が、外部からの全く新しい価値や記憶に盲目的に反発するからである。メディアが呼びかけと反発の舞台となる場合が往々にして多い。

また、そもそも、こうした市民間和解が志向されたのは、「本当の和解」がないままの状態で、戦後日本と周辺アジア諸国との国交正常化、政府間和解が行われたからである。戦争の意味も、帝国としての日本の統治やそこからの独立の意味に関しても、何らの合意なく無味乾燥の条約文として、政府を独占していた軍人、高級官僚、特定の政党幹部によって経済中心の正常化枠組みが作られ、さらに、反共産主義の論理がそれに加わった。これこそが政府間和解である。冷戦終結後にも「発展」という価値がそうした政府間和解を支えていたが、置き去りにされた「心」の重要性は福田ドクトリンでも確認され、今や経済の発展レベルは対等となった。さらに80年代後半からのアジアの民主化とグローバル化による普遍的価値の浸透は、こうした過去の枠組みを根底から揺さぶっている。民主主義を支える要素自体を認識し、それらの深い理解と国民的次元での対話に立脚した国民間和解が求められている。

補註:本文は『時の法令』に掲載されたものであり、掲載された文章との間には、微妙な校正上のずれがある場合がある。

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