ニューズレター・エッセイ

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投稿エッセイ

国内の和解すら程遠い韓国

聖学院大学 宮本悟

2024年12月3日22時28分に非常戒厳令が発布された。その時まで全く予兆はなく、夜も更けていたため、すぐに人々が国会前に集まったわけではない。野党代表の李在明がタクシーの中からYoutubeで支持者に国会前に集まるように呼びかけると、23時過ぎぐらいから人々が国会前に集まり始めた。23時4分には国会の出入り口が閉鎖され、それ以降は議員を含む国会関係者やメディア関係者など身分証を提示しなければ出入り不可能になった。23時37分には完全に出入り口が閉鎖され、その後は出入り口から国会の敷地内に入れなくなった。

23時48分に軍部隊がヘリコプターから国会の敷地内に入り始めた。その頃には国会議員たちも集まり始めていて、翌12月4日1時1分には国会で戒厳解除要求案が決議された。それを受けて、軍部隊も撤収を始めた。国務会議で非常戒厳令解除案が4時30分に決議されたことが5時4分に発表され、非常戒厳令は解除された。

この非常戒厳令はなぜ発令されたのか。まだよく分かっていない。ただ、非常戒厳令そのものは突然であったが、大統領も国会もそれ以前から、対立を繰り返してきた。国会が立て続けに政府高官の弾劾を決議し、国会が採択した法案を大統領が立て続けに拒否するという「いやがらせ」が続いていた。非常戒厳令もそのような「いやがらせ」の一つのつもりだったのかも知れないが、大統領と国会の間を超えて、社会に大きな混乱を招いた。

この非常戒厳令は、重要な政治イベントであるが、大統領と国会の対立の流れの中の一つの点でもある。時間を無視して政治イベントを点だけでとらえるとその後の展開は読めなくなる。点でとらえる分析を静的分析という。ゼノンのパラドックスが有名である。実際には時間が止まることはないので、政治イベントは以前からあるものの続きであり、その後も続くことになる。時間を流れとしてとらえる分析を動的分析という。ということは、非常戒厳令が解除されてもそのまま社会的混乱も続くのである。そのために、非常戒厳令の後に韓国政治と社会がさらに混乱に陥った。デモクレイジーという言葉がよく似合う有様である。

2022年の大統領選挙によって成立した尹錫悦政権は、大統領の所属政党と国会の支配政党が異なる分割政府である。だから、大統領と国会が対立している。韓国では、大統領の所属政党である「国民の力」が保守勢力であり、国会の支配政党である「共に民主党」が進歩勢力とされている。保守勢力は韓国の南東部にある慶尚道での支持が高く、進歩勢力は韓国の西南部にある全羅道での支持が高い。2022年の大統領選挙でも、それは明確に現れている。

朝鮮半島は「新しい三国時代」に入ったと韓国のある記者が私に冗談で言った。三国時代とは、朝鮮半島にいくつもの邑が割拠していた古代に領域国家として生き残った新羅と百済、そして朝鮮半島の北方から南下してきた高句麗が勢力を争っていた時代である。それから約1400年の時を経て、高句麗が北朝鮮、新羅が与党「国民の力」、百済が野党「共に民主党」になったと冗談めかして言っているのである。たしかに新羅は慶尚道に王都があり、百済は全羅道に王都があった。そのために、地理的な勢力基盤はまさに「新しい三国時代」に当てはまるのであるが、もちろん学術的には何の関係もない。

ただ、高句麗と新羅、百済が異なる建国神話を持っていたように、保守勢力を標榜する「国民の力」と進歩勢力を標榜する「共に民主党」は異なる民主主義の起源に正統性を求めている。保守勢力は建国直前である1948年5月10日に実施された制憲議会選挙を民主主義の起源とする民主化の歴史に正統性を求めている。進歩勢力は、1980年5月に発生した光州事件を民主主義の起源とする民主化の歴史に正統性を求めている。これでは異なる建国神話を持つ別の国家のようである。南北統一を語る以前に、韓国は国内の統一ができていない。国内の和解すら遠いのである。

大統領官邸近くに集まる大統領支持者のデモ (筆者撮影: 2025年1月1日)

保守と進歩の非難合戦も醜いものである。大統領は国会を独裁と呼び、国会の野党議員たちは大統領を独裁と呼ぶ。もはや、韓国では、独裁というのは中身のある言葉ではなく、相手勢力を罵る悪口に過ぎない。大統領も国会議員も選挙で選ばれて、手続きを経て政策を実施しているので、独裁とは言えないはずである。野党側では非常戒厳令は違憲だと罵り、大統領側では憲法上の大統領の権限だとやり返す姿を見ても、もはや法が社会を支配しているのではなく、非難と暴力が韓国社会を支配している。

しかも保守勢力も進歩勢力も自分の正義を信じて疑わない。法の正義はどこにもない。しかし、自分を正義と信じるほどの悪行はない。自分が正義と思い込んだ人間ほど残虐であさましく醜い動物はいないのだ。敵を殺すことは自慢であり、モノを破壊することは誇りである。指導者たちは、大衆を正義として煽って街中に繰り出させる一方、自分の正義はこれだけの人々に支持されているのだと悦に入る。大統領官邸に立てこもって逮捕を拒否していた尹錫悦大統領が、まさにそうだったであろう。大衆にとって、難しい民主的な議論は理解できず、暴力と雄叫びが彼らのテキストになる。この大衆行動を民主主義として賛美する韓国では、あたかも民主主義は、人を傷つけ、モノを破壊してこそ勝ち取ることができるものと信じられているように見える。そのため、2025年1月19日未明にソウル西部地方裁判所がデモ隊に襲われたのは当然の結末である。大衆にとって、それはある種のファッションでもあるのだ。

尹錫悦大統領が立てこもってバリケードが張られている大統領官邸の入り口(筆者撮影: 2025年1月12日)
尹錫悦大統領が逮捕された直後の大統領官邸入り口(筆者撮影: 2025年1月15日)

隠退した韓国の大物政治家は、昨今の大統領と国会のそれぞれの支持者の争いを見て、知性がないと嘆いた。だいたい以下のような内容である。

彼らは、保守とか進歩とかいうが、保守が何を目指し、進歩が何を目指すものなのか、何も勉強していない。ただ、相手を汚い言葉で罵り、憎しみを掻き立てて、相手を潰すことだけが目的なのだ。彼らの中で、どれだけの人がマルクス・レーニン主義を学んだろうか、どれだけの人が近代経済学を学んだだろうか。彼らは知性ではなく感情で行動するケダモノなのだ。

12月7日に大統領である尹錫悦はYouTubeのフェイクニュースを真に受けたような内容で非常戒厳令発布の説明をした。「共に民主党」の代表である李在明も、大統領である尹錫悦もYouTubeから離れられない。それはまさに大衆の反知性主義が韓国に蔓延していることを示しているかのようである。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはドイツ帝国の宰相であったオットー・フォン・ビスマルクの言葉であるが、韓国で歴史を叫ぶ者は歴史から学んでいるのではなく、自分の正義を正当化するために歴史を利用しているだけである。保守勢力は国家成立を民主主義の起源とし、進歩勢力は光州事件を民主主義の起源とした民主化の歴史を自らの正義としている。今の韓国があたかも二つの国のように分裂したのは、自分の正義を正当化するために民主化の歴史を利用して、それをデモによって力で誇示した結果なのである。韓国の大衆は民主主義を守ったのではない。保守も進歩も自己の正義を守ろうとして、民主主義を看板に掲げただけだった。それが結局は、国内の和解すら成り立たない状況を生み出しているのである。