1.はじめに
2026年3月中旬、アメリカ合衆国のワシントンD.C.、オハイオ州コロンバス、ニューヨークへ出張した。本出張は、コロンバスで開催されたInternational Studies Association(ISA)2026年大会への参加を主目的としつつ、アメリカにおける歴史的記憶に関する施設の現地調査を併せて行うものであった。
私はこれまで、韓国社会において過去の歴史認識がなぜ政治的対立へと展開するのか、そのメカニズムを研究してきた。この問題意識は日韓の歴史認識問題への関心に端を発するが、現在はその延長として、「和解」がどのように可能となるのかを主要な課題としている。
具体的には、東学農民戦争の歴史認識の変遷とその政治的意味に注目し、国家間の対立というよりも、国内における記憶の競合がどのように現代政治の対立軸を形成するのかを分析している。本出張ではこの観点から、アメリカにおける公民権運動の記憶が、公的領域および民間領域でどのように語られているのかを比較参照するため、関連施設の調査を行った。
2.韓国における記憶の持続とその特徴
ISAでは、“The Colonial Past in the Present: Comparative Reflections from Asia, the Caribbean, and the Pacific”というパネルに参加し、“Reframing the Past: Memory Activism and the Donghak Peasant War in South Korea’s Democratization Movement”という題目で報告を行った。本パネルは、過去の出来事が現在においてどのように意味づけられ、どのように社会の争点となるのかを地域ごとに比較するものであり、「過去はそのまま問題になるのではなく、現在の文脈の中で意味づけられて初めて争点となる」という視点が共有されていた。

私の報告は、東学農民戦争の記憶が1980年代の民主化運動の中でどのように再評価され、その後もなぜ持続しているのかを検討するものである。軍事政権下で「殉国精神」とされていたこの出来事は、民主化運動の中で「民衆による社会変革の運動」として捉え直され、その語りは遺族にも共有された。その結果、「正しいことをしたにもかかわらず忘れられてきた人々」という認識が広がり、1990年代には遺族が組織化され、国家に承認を求める運動へと発展した。2004年には国家による正式な位置づけも実現した。
しかし、それで問題が終わったわけではない。承認の後も「まだ十分ではない」という感覚が残り、評価を求める声は続いている。さらに、この記憶は家族の中で受け継がれるため、当事者としての意識や要求も世代を超えて残り続ける。また、どの出来事をどれだけ重視するかという問題は、国家の記念事業や予算とも関わり、政治的な争いへとつながっていく。
以上の点を踏まえた報告に対してフロアからは「ではその先に何があるのか(Now so what?)」、すなわち、このような承認要求の持続はどのような帰結に向かうのか、という問いが投げかけられた。この問いは、自身の研究の方向性を改めて考え直す契機となった。
現在、東学農民戦争の記憶は一つの方向にまとまるのではなく、さまざまな立場から語られ続けている。遺族は独立運動の流れの中で評価を求め、地方政府や市民運動では民主主義の象徴として用いられ、また一部では日本軍による被害の記憶として語られている。とりわけ地域社会においては、儒林の系譜に自己を位置づける家系との関係の中で、農民軍に連なる家系が自らの正当性と名誉の回復を求めるという構図が見られる。
重要なのは、これらの語りが一つにまとまっているわけではないにもかかわらず、公的な場、民間の活動、個人の経験といった異なる場面で重なり合いながら、おおまかには一つの国民的な記憶として共有されている点である。それぞれの語りは異なる根拠にもとづいているため、国家による承認があっても、すべてが整理されるわけではなく、どこかにズレが残り続ける。
その結果、語りは終わることなく、それぞれの立場から繰り返し現れる。したがって和解とは、こうしたズレをいかに解消するかではなく、それが解消されないままでも成り立つ関係をどのように構想し、実践していくのかという課題として捉える必要があるのではないか。
3.記憶施設調査:展示が構築する和解の枠組み
ISA参加に前後して、以下の記憶施設を訪問した。
- United States Holocaust Memorial Museum
- National Museum of African American History and Culture
- Malcolm X and Dr. Betty Shabazz Memorial and Educational Center
- The National 9/11 Memorial & Museum
これらの施設は扱う歴史こそ異なるが、記憶をどのように構築し、現在に接続するかという点で一定の共通性を持っていた。
ホロコースト記念博物館では、差別がどのように社会制度として組み込まれていくかが段階的に示され、その帰結としての甚大な被害が提示されていた。収容所の再現や犠牲者の名前、サバイバーの証言を通じて、過去は終わった出来事ではなく、現在に向けて問いを投げかけるものとして構成されている。ここでの和解は、「二度と繰り返さない」という倫理を将来の世代に受け継ぐ形で示されていた。

虐殺が個々人に起きた悲劇であったことを来館者に訴える
アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館とマルコムX記念教育センターも、人種間対立の歴史を扱いながら、最終的には統合へと向かう語りを提示していた。前者では、奴隷制から公民権運動への歴史が「自由への旅路」として整理され、黒人の経験はアメリカ国家の発展の物語の不可欠な一部として提示されていた。一方、後者ではマルコムXが家族の視点から描かれ、対立の象徴というよりも、共存や連帯を志向した人物として記憶されていた。訪問前は現状批判的な語りを予想していたが、実際には「自由」や国境を越えた連帯といった価値が強調されていた。


さらに、9.11博物館・記念館では、犠牲者の追悼と消防士に代表される「英雄的行為」の顕彰を通じて、共同体としての連帯が強調されていた。ここでも対立の原因より、結束の再確認に重点が置かれている。
以上を踏まえると、アメリカの記憶施設は、被害の想起や英雄の顕彰を通じて、「民主主義」や「自由」といった価値へと収斂し、共同体の統合を支える語りを形成していることがうかがえた。

しかし、このような語りには違和感も残る。現実には人種問題は現在も続いており、統合の物語だけでは捉えきれない経験や対立が存在しているからである。むしろ、こうした公的なナラティブがあるからこそ、それに異議を唱える語りや、別の形での承認を求める声が生まれていると思われる。
この点を踏まえると、歴史認識の問題は「どの解釈が正しいか」を争うものではなく、誰がどのように過去を語ることができるのかという問題として捉え直す必要がある。すなわち、記憶とは「語ることが認められるかどうか」をめぐる政治の問題でもある。そう考えると、和解とは一つの答えに到達することではなく、異なる語りが併存できる状態をどのように支えるのかという課題として理解できるのではないか。この点については今後の研究でさらに追求していきたい。
最後に、早稲田大学国際和解学プロジェクトを率いる浅野豊美教授に今回の出張に送り出していただいたことに深く感謝申し上げる。また、出張に向けてこうした機会があることを推してくださった熊谷奈緒子教授、また、手続き面でサポートしてくださった早稲田大学の浅見志真氏、川口博子氏にも厚く御礼申し上げる。