ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2026 キプロス 国際和解学会

IARS 2026キプロス会議 参加報告

陳 志剛

京都大学 博士課程

【発表要旨】

 以下は、IARS 2026 Cyprus において「The East Asian Peace Walk as a Laboratory of Reconciliation」の題目で報告した内容の要旨である。

 本報告は、台湾有事をめぐる安全保障上の緊張が高まる東アジアにおいて、「東アジア平和行進(East Asian Peace Walk)」を和解の実践的な「実験室(laboratory)」として位置づけ、その意義を検討するものである。本報告では、和解を政治的対立の解消や合意形成として捉えるのではなく、身体的経験の共有、対面的な交流、そして相互理解を通じて対話の条件を創出する営みとして理解すべきであると論じる。

 まず、本報告では沖縄と台湾における台湾海峡情勢に対する異なる認識を整理する。沖縄では、米軍基地の集中と沖縄戦の記憶が重なり合うことによって、軍事化に対する強い懐疑的姿勢が形成されている。一方、多くの台湾人は、中国による軍事的脅威の高まりを背景として、民主主義を守るためには軍事的備えが不可欠であると認識している。このような異なる歴史経験は、台湾と沖縄の平和運動関係者の間に相互理解の困難を生み出している。

 続いて、本報告では、筆者が2025年に石垣島および与那国島で実際に参加した東アジア平和行進の経験をもとに、この活動を「和解の実験室」として分析する。そして、その実践には三つの側面が存在すると指摘する。第一に、それは「身体の実験」である。参加者は長距離を歩き、島々の地理・気候・自然環境を身体を通して直接経験することで、平和を抽象的な理念としてではなく、具体的な生活世界の中で捉えることになる。第二に、それは「関係性の実験」である。台湾人、沖縄人、日本本土の参加者、宗教者、平和活動家、地域住民が共同生活を送り、ともに歩き、食事をし、交流することによって、多様な背景を持つ人々の間に新たな人間関係が形成される。第三に、それは「理解の実験」である。参加者は必ずしも政治的立場を変化させるわけではないが、それぞれが抱く恐れや懸念がどのような歴史的・社会的背景から生まれているのかを理解するようになる。

 石垣島および与那国島の住民との対話を通じて、筆者は戦時避難や故郷・共同体を失うことへの強い不安が広く共有されていることを知った。また、台湾からの参加者として、そのような不安は、軍事侵攻によって故郷を失うことを恐れる台湾社会の感覚と極めて近いものであることを実感した。両社会は政治的判断において異なる立場を維持しているものの、故郷への深い愛着と、それを喪失することへの恐れを共有しているのである。また、実際に島々を歩く経験を通して、沖縄は単なる戦略的空間ではなく、人々の暮らし、地域社会、そして記憶が息づく生活空間として認識されるようになった。

 最後に、本報告は、東アジア平和行進の意義は政治的合意を生み出すことではなく、意見の相違を超えて共感(empathy)を育む点にあると結論づける。参加者が互いの土地や生活を身体的に経験することによって、東アジアを地政学や軍事戦略の対象としてのみ捉える視点から、人間が共通して抱える脆弱性を有する地域として理解する視点への転換が促される。このような身体性に根ざした対話は政治的対立そのものを解決するものではないが、和解のための不可欠な基盤を形成し、東アジアにおけるより人間的な平和と安全保障のあり方を構想するうえで重要な意義を有している。

【討論】

 本報告に対して、平井新教授は、2025年東アジア平和行脚を「和解の実験室」として捉えた点が非常に印象的であり、感動的な報告であったと評価された。とりわけ、台湾の自衛権に対する自身の立場を維持しながらも、沖縄の人々がなぜ戦争を恐れるのかをより深く理解しようとした姿勢を高く評価された。

 また、平井教授からは二つの質問が提示された。第一に、和解は相互的なものであったのかという点である。すなわち、沖縄や日本本土の参加者もまた、台湾に対する理解を深めるという変化があったのかという問いであった。第二に、平和行脚というモデルの限界について質問があった。民主主義という共通の価値観が共有されていない状況、例えば台湾と中国、あるいはウクライナとロシアのような対立関係にも、このような実践は適用可能であるのかという点である。

 これに対し、筆者は次のように回答した。第一の質問については、ある沖縄の参加者から、「もし戦争を避けられるのであれば、なぜ台湾は中国による統治を受け入れないのか」と尋ねられた経験を紹介した。これに対して筆者は、台湾の立場から見ると、現在の香港の状況は「戦争が存在しないこと」が必ずしも「真の平和」を意味するわけではないことを示していると説明した。その後、その参加者は「沖縄の反戦という立場は変わらないが、沖縄の人々も台湾、香港、そして中国大陸の現状についてより理解を深める努力をすべきである」と述べた。さらに、その参加者は後日台湾を訪れ、台湾の人々と直接対話を行った。この経験は、相互理解が実際に生まれた一つの意義深い事例であったと考えている。

 第二の質問については、このような対話は自由と民主主義の存在に大きく依存しているという認識を示した。東アジア平和行脚には中国からの参加者もいたが、安全上の理由から匿名で参加していた者もいた。個人レベルでは率直で有意義な対話が可能であった一方で、現在の中国の政治体制の下では、そのような交流が社会全体にどの程度の影響を及ぼし得るのかについては慎重に考える必要があると回答した。

【会議を通じて得られた知見】

 会議期間中には、キプロス和平プロセスに携わった二人の元交渉担当者によるセッションにも参加した。両氏の報告によれば、20世紀に経験した深刻な紛争の記憶があるからこそ、現在ではギリシャ系キプロス人とトルコ系キプロス人の双方が、諸課題を平和的手段によって解決しようとする姿勢を堅持しているということであった。

 台湾から参加した筆者にとって、とりわけ印象深かったのは、かつて対立していた双方の交渉担当者が同じ場に着席し、それぞれの経験や考えを率直に共有していたことである。現在、台湾海峡両岸の間には公式な対話の枠組みが存在していないことを考えると、その光景は非常に示唆的であり、平和構築における対話の重要性を改めて実感した。

 また、キプロス行方不明者委員会(Committee on Missing Persons in Cyprus:CMP)に関するセッションにも参加した。同セッションでは、ギリシャ系キプロス人およびトルコ系キプロス人の考古学者が、20世紀の紛争で犠牲となった行方不明者の遺骨を共同で発掘し、科学的鑑定を経て遺族へ返還してきた経験について報告した。

 その中で特に印象に残った言葉は、「一人の犠牲者の背後には、その人の家族や友人が存在しており、社会に及ぼす影響は、単に犠牲者数だけでは測ることができない」というものであった。この言葉は、紛争の被害を数量的な犠牲者数だけで捉えるのではなく、一人ひとりの人生と、その人を取り巻く人間関係全体にまで視野を広げて考える必要性を示しており、筆者に深い印象を与えた。