ニューズレター・エッセイ

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和解学に関連するニューズレター・エッセイをご紹介します。

2026 キプロス 国際和解学会

なぜ、和解は相互変容なのか。– 日韓関係とキプロス島の交差点 –

池上 慶徳

国際基督教大学 博士後期課程

 2026年6月19日から22日にかけて、キプロス共和国・ニコシア大学で開催された The 7th Annual Conference of the International Association for Reconciliation Studies(IARS)に参加し、研究発表を行う機会を得た。まず、このような貴重な機会を与えてくださった国際和解学プロジェクト(代表者:浅野豊美教授)、学会運営に携わられた関係者の皆様、ならびに当日ご質問・コメントをくださった参加者の皆様に、心より御礼申し上げたい。今回の学会参加は、私にとって、自身の研究を国際的かつ学際的な議論のなかに位置づけ直す重要な機会となった。また、「和解」という一定の規範的含意を帯びた語を研究の中心に据えながら、植民地支配という力の不均衡を前提とする研究対象を扱うなかで、その両者がいかに交差し、また緊張関係をもつのかについて、改めて考える機会ともなった。以下では、私の発表内容とそれに対する質問を振り返り、最後に、開催地であるキプロス島を歩きながら得た雑感を記したい。

 私の発表は、“Cultural Property Issues as a Site of Conflict between Nation-States: A Comparative Analysis of Cases in Japan and South Korea” と題するものであり、日本と韓国という国民国家間において、所有権やその象徴的意味をめぐってしばしば争点化される文化財について、いかなる条件下でそのような問題が生じるのかを検討した。昨年のIARSや別の学会では、Laurajane Smith氏の Authorized Heritage Discourse(AHD)という概念を用いながら、国民形成の過程で生じる各国固有の遺産観が両立しがたい側面をもち、そのような各国のAHDに同一の文化財が取り込まれたとき、いわゆる国際的な文化財問題が発生するのではないか、という仮説的な理論を展開してきた。もっとも、これまでの議論は、当該文化財が日韓両国のAHDに組み込まれた事例を中心に構成されていた。そこで今回の発表では、両国のAHDに組み込まれていない事例、あるいは片方のみに組み込まれている事例を中心に検討することで、先の理論が多様な事例に対してどの程度の説明力をもつのかを検証した。結論として、従来の研究と今回検討した事例を踏まえるならば、日韓文化財問題は、対立的な側面を有する両国のAHDに文化財が組み込まれた場合に発生することが示された。

(写真1: 発表資料で使用した事例ごとの概念図, 発表者作成)

 討論者の南基正先生からは、大変示唆深いご指摘とご質問をいただいた。紙幅の都合上、その全貌を詳細に述べることはできないが、ここではとりわけ重要であった一点に絞って、その概要を記しておきたい。南先生からの質問は、私の発表で用いた「主体の相互変容」という浅野豊美先生の和解の定義に関するもので、日韓の和解はなぜ「相互変容」であるべきなのか、という問いであった。南先生は、植民地支配という力の不均衡が存在した日韓関係を踏まえ、一般論として、非対称な関係において、双方に等しい変化を期待するならば、その結果はむしろ不平等を再生産するのではないか、と指摘された。言い換えれば、力の不均衡を一因として成立した関係性において和解を語るとき、なぜ一方の変容ではなく、相互変容なのか、という問いであった。

 私はこれに対し、研究者としての立場から所感を述べた。もちろん、その厳密な線引きは容易ではないが、研究は大きく実証的研究と規範的研究の二つに区分することができる。前者は「何が起きたのか」という現実の説明に主眼を置き、後者は「何が望ましい状態か」という理想の追求に関心を寄せる。私が研究者として行っているのは、基本的には前者の実証的研究であり、そのなかに和解という概念を位置づけている。その意味で、私は自身の研究を通じて、日韓は和解するために相互的に変容すべきだ、と規範的に主張しているわけではない。むしろ、仮に相互変容が何らかの形で生じ、その結果として現在存在する紛争が少なからず軽減の方向に向かうのであれば、その現象を和解として理解する、という立場にある。より具体的に今回の発表に引きつけて言えば、日韓それぞれのAHDそのものが両立不可能ではない形へと変容する場合、それを和解と呼ぶという理解である。

 ただし、ここでいう相互変容とは、変容の対称性を意味しない。南先生の問いに直接的に答えるならば、少なくとも日韓の文脈において、和解を相互変容として概念化することは、非対称な関係に等しい変化を期待することではない。また、相互変容の内実は、権力関係の上下や、旧宗主国/旧植民地といった区分によって一般化されるべきものでもなく、あくまで個別の歴史的・政治的文脈に即して検討されるべきものである。植民地支配に由来する非対称性は、たしかに和解を考える際の重要な出発点である。しかし、その非対称性がいかなる制度、言説、記憶、感情、価値を通じて現在に作用しているのかは、事例ごとに異なる。したがって、和解における相互変容とは、あらかじめ定められた方向への変化を双方に求める概念ではなく、それぞれの文脈において、紛争的な関係を支えている認識や制度、語りの構造がどのように変化するのかを捉えるための概念である。

 歴史的に両国のAHDが変容し続けていることが如実に示しているように、従来の国際関係論がしばしば前提としてきたような、不変の主体というものは存在しない。一見同じ主体であっても、時代の変化に応じて、すべての主体は動的に変化している。そのなかで、紛争主体同士の接触を通じて、従来見られた紛争が軽減される方向へと相互に変容が生じるのであれば、それを和解と呼ぶ。私はそのような視座に立っている。この意味で、相互変容としての和解は、力の非対称性を度外視した均等な変化の「押し付け」ではない。(これはしばし、「暴力としての和解」とも称される。)それは、非対称な関係性を前提としながら、関係を構成する複数の主体が、それぞれ異なる仕方で変容し、その結果として従来の紛争的関係が部分的にでも組み替えられていく過程を記述するための視座である。

 このような視座から和解を捉えたとき、学会が開催されたキプロス島を歩く経験もまた、非常に示唆深いものであった。キプロス島では、約半世紀にわたって直接的暴力としての大規模紛争は起きていない。しかし、国連のグリーンゾーン(緩衝地帯)を物理的な境界線として、そこには明らかに対立的な主体が存在していた。南側のギリシャ系キプロスには、過去の軍事衝突における行方不明者を追悼する、ギリシャ国旗が添えられた記念碑があった。他方、北側のトルコ系キプロスには、「バーバリアン博物館」という、特定の主体を “barbarian” と名指す施設が存在していた。その両者が現時点で相容れない関係にあることは、一目瞭然であった。しかし同時に、メディア関係者による市民運動や、Technical Committee をはじめとする様々な「和解」の取り組みが存在していることも事実である。すなわち、ここで見えてきたのは、「国民国家」という主体のみならず、その内部に存在する主体、あるいは境界を越えて活動する主体もまた、紛争と和解のダイナミズムのなかに織り込まれながら、常に変容し続けているということであった。

(写真2: ギリシャ系キプロスにある行方不明者を追悼する記念碑)

(写真3: トルコ系キプロスにあるバーバリアン博物館の展示パネル)

 「第三者」としての研究者が、この状況に対して安易な規範的主張を行うことはできない。しかし、和解を少なからず研究する者として、仮に相互変容としての和解が実現するとすれば、それはいかなる条件のもとで可能となるのか。この問いを、キプロスの歴史と、東アジアをはじめ、他地域から得られる知見とを照らし合わせながら思索することはできるのではないかと感じた。また、キプロス島の事例から東アジアが学べる点も多いということは、今回の滞在を通じて体感した。そもそも国際和解学プロジェクトは、「東アジア発の紛争解決学」としての和解学を、改めて国際的な議論へと接続しようとする試みでもある。その意味で、今回の発表を通じて再考した「相互変容としての和解」という概念を、東アジア以外の地域に当てはめて検討する機会を、開催地であるキプロスにおいて偶然にも得たことは、単なる偶然ではなかったようにも思われる。