2024年8月、イェナおよびベルリンにて開催されたサマースクールに参加した。リトアニアにて長期在外研究を行っている私にとっては、今年4月にこの国際和解学プロジェクトに参加して以来、プロジェクト・メンバーらと対面で会い意見交換できる初めての機会となった。また、国際和解学プロジェクトの提携機関であるフリードリヒ・シラー大学イェナのもとに設置されているイェナ和解学センター(JCRS)の関係者にも直接お会いし、和解学などについて意見交換することができた。
今回のサマースクールでは、特に、和解学がいかに現実社会に貢献し得るかという実践的な視点が強調されていたのが印象的だった。私は自身の研究内容について発表する準備をしていたが、スケジュールの都合でイェナではなく、後日ギリシャにて発表することとなった。とはいえ、他の参加者との交流や意見交換を通じて、多くの学びを得ることができた。

イェナからベルリンまでの移動
JCRSではまず、Martin Leiner教授から、センターの発展と和解学の発展の歴史に関する講義を賜った。和解学は必然的に学際的なアプローチを必要とするものであるが、Leiner教授は、interdisciplinaryなアプローチでは不十分であり、さらに進んでtransdisciplinaryなアプローチが和解学には要請されるといった趣旨で講演された。また、紛争後の和解だけでなく、紛争前・紛争中の取り組み(予防など)の重要性も強調されていた。いずれにせよ、和解学は、いかに現実の問題にコミットできるかという点に主眼が置かれており、学術的意義と並んで、あるいはそれ以上に、社会的意義を重視していると感じた。国際和解学プロジェクトの参加者は何らかの学術領域を専門としているが、和解学においては、それぞれの領域における学術的貢献だけでなく実務上の貢献も求められるというメッセージを感じた。しかし、私が専門とする歴史学では、少なくとも歴史研究を行う段階においては、なんらかの実務的な貢献などといった目的を前提としてはいけないと感じる。それは、歴史学が、歴史的事実の解明を目的とする学術領域であるからであり、実務上の貢献を前提とすることで、実務上の観点から「不都合な」歴史的事実の解明が阻害されるおそれがあるからである。そのため、歴史研究そのものは和解学とは切り離して行われるべきと考える。むろん、和解学が、和解という目的のために歴史研究の成果を利用することは妨げられるものではないが、それはあくまで歴史研究そのものとは異なるものであり、この違いにはつねに意識的であるべきであろう。なお、応用科学としての和解学の位置づけなどについては、質疑応答でも論点の一つとなっていた。
続いて、Laura Villanueva博士から、和解学の方法論に関するセミナーを賜った。このセミナーでは、架空の事例においていかに和解を達成するかに関するグループワークも行われた。グループワークには異なる学術領域を専門とする参加者どうしが一つのグループとなったため、異なる観点から議論が行われた。教育学を専門とする参加者がより長期的な観点から論じたのに対して、私は短期的な観点から政治的にいかに問題を解決できるのかといった論点を示そうと模索した。このグループワークを通じて、異なる利害関係を有する諸アクターが和解を達成することは、少なくとも短期的にはまったく不可能であることを実感し、和解ではなくむしろいかなる妥協が実現可能かという観点が重要であると感じられた。長期的視点に立てば和解は実現可能なものとなるのかもしれないが、しかし、たとえば犠牲者がすでに死去しているなどの場合、紛争当事者本人が不在のなかで和解が達成されることなど本来はありえるはずもなく、やはり和解ではなくどのような妥協なら達成できるかという点が鍵になってくるであろう。なお、Villanueva博士からは、実際の事例として、ご自身が取り組まれている「Satoyama for Peace」プロジェクトについてのお話もあった。
ベルリンに移動したのち、私たちは、ヴァンゼー会議が行われた邸宅やポツダム会談が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿、国会議事堂、「テロのトポグラフィー」博物館、チェックポイント・チャーリー、ホーエンシェーンハウゼン記念館(旧シュタージ拘置所)などを訪問した。なかでも、東ドイツの歴史に関わる「テロのトポグラフィー」博物館とホーエンシェーンハウゼン記念館の展示内容は、東欧史を研究をしている私にとって特に重要なものであった。ホーエンシェーンハウゼン記念館ではツアーの開始まで30分ほど時間があったため、記念館の周辺を一人で歩き、記念館以外のシュタージ関連施設を見て回った。シュタージ関連施設のあった一帯は広大で、30分ではとてもすべての施設を見学しきれなかったため、近いうちに必ず再訪したいと思う。ホーエンシェーンハウゼン記念館のツアーでは、かつての拘置所の様子に衝撃を受ける様子の参加者もいたものの、私が専門とするリトアニアには同施設よりもさらに残虐であったと思われるKGB関連施設があり、私は研究の必要上その施設を何度も訪問したことがあるため、私はホーエンシェーンハウゼン記念館の施設自体にはそれほど衝撃は受けなかった。むしろ、両者の比較という観点から、シュタージとKGBの手法の違いなどに関心を抱いた。そのほかの訪問地については、すでに訪れたことのある場所であったため、特に何か新たに学ぶことはなかった。
なお、博物館に関して言えば、イェナに移動する前に個人的にライプツィヒに立ち寄り、ライプツィヒのシュタージ博物館と郷土歴史博物館を見学することができた。いずれも特に20世紀後半の歴史に関する重要な展示があり、これまで知らなかった情報を多く学ぶことができた。ライプツィヒは東ドイツの歴史において非常に重要な都市であり、その地における反体制運動や統一ドイツへの道筋がどのように進んだのかを再確認することができた。イェナ近郊には、ドイツの20世紀前半の歴史を語る上で欠かせないヴァイマルがあるが、今回は時間が合わず訪れることができなかったので、近いうちにぜひ訪れたいと考えている。

東西ドイツの境界線