哲学・心理学ジェンダー&エスニシティ
眞田 航
SANADA, Wataru

大阪大学 博士課程
代表業績3点
- 【学術論文・査読有】眞田航「西田幾多郎の後期哲学におけるメタモルフォーゼの理論――形・絶対無・反復をめぐって」『哲学』、2024年、185-202頁、第75号。
- 【学術論文・査読有】眞田航「純粋経験の有限性について――『善の研究』までの西田幾多郎の思想的変遷から」『求真』、第28号、175-198頁、2023年。
- 【学術論文・査読有】SANADA Wataru, 2022. “Dialectical Monadology and Innumerable Species: The Concept of Species in Nishida Kitarō’s Later Philosophy,” European Journal of Japanese Philosophy, vol. 7, pp. 191-210.
専攻分野
近代日本哲学、近代日本思想史
目指す研究者像
これまで、20世紀前半の日本哲学の中心を担った京都学派を専門的に研究する一方で、日本思想史、人類学、文学、政治学など、多様なバックグラウンドをもつ研究者たちと共同して研究をおこなってきた。そのなかで、哲学研究という営みは、けっして時代の状況とは無縁なものなどではなく、むしろその時代性と深い関わりをもつものであることに気づいた。このような経験から、哲学研究を発展させ、現代の社会的課題の解決に活かすために、高度な哲学研究を展開しながらも、領域横断的な視点から自らの研究を常に問い直す姿勢をもった研究者を目指したいと考えている。
研究テーマ紹介
本プロジェクトにおいて私は、京都学派のメンバーである九鬼周造の偶然性の哲学の研究を通じて、和解の可能性(あるいは不可能性)について考察する。
京都学派は、あらゆる特殊を超越した普遍としての「無」を設定しながら、その「無」を、特定の特殊である「日本」と結びつけることで、日本がアジアの支配者となることを哲学的に正当化した。
しかし私は、京都学派のなかには、このような哲学的なナショナリズムを乗り越えるための鍵も含まれているのではないか、と考えている。その鍵とは、九鬼周造の偶然性の哲学である。彼もまた哲学的なナショナリズムに陥ることがある一方で、同じ普遍的価値を共有しない者たちの偶然的な邂逅を重視してもいる。この偶然性への注目は、哲学的なナショナリズムにもとづく支配-被支配関係を解体する契機となりうるのではないか。
また、この偶然性の哲学は、ナショナリズムを支える集合的記憶についても再考をせまるものだろう。私たちはしばしば、自分が所属する集団のみんなが同じひとつの集合的記憶を受け継いでいるように感じてしまう。しかし実際には、私たちはそれぞれ特異な経験を生きており、私たちのあいだにはさまざまなすれ違いがある。九鬼の偶然性の哲学は、このすれ違いを際立たせ、私たちがひとつの集合的記憶を生きているわけではないことを明らかにするだろう。このように偶然性の哲学は、ある特殊が普遍=支配者の座につくことで可能になる予定調和の和解ではなく、同じ普遍を共有しない者たちの偶然的な邂逅にもとづく事後調停の和解へと、転換を迫るのではいかと予想している。
ワーキングペーパーの仮題目
哲学的ナショナリズムと九鬼周造の偶然性の哲学