メンバー

Members

和解学を共に研究するメンバーたちです。

浅野 豊美

Toyomi ASANO

Toyomi ASANO

早稲田大学 政治経済学術院 教授

「自己」紹介と本プロジェクトを支える私の記憶―家族の記憶を材料として 

国民という想像上の共同体は東アジアにおいて戦争や植民地支配の記憶とともに急速に作られ、政治体制に今も組み込まれ続けている。ヨーロッパにおけるドイツ国民がナチスによる一党独裁を許してしまったという点で、民主主義という価値を中心に第二次大戦を振り返るのに対して、東アジアにおける日本国民は、空襲や原爆という体験をイメージしながら、平和という価値を中心に第二次大戦を回顧する。しかし、他国民に与えた「加害」とからまる戦争原因について、なぜにして戦争が発生してしまったのか、なぜにしてその発生を抑止できなかったのかそもそも帝国という存在は戦争発生とどのように関係していたのか、こうした問題についての見解は、十分に統一されているとは言えない。 

日露戦後80年であったはずの1985年、私は大学生であったが、それは第二次大戦後40年の時でもあった戦後80年の現代から振り返ると、戦後40年という年は、当時の戦争体験者たちにとって、決してそんなに昔の出来事としてではないイベントであったに違いないことを振り返る。若い大学生の私にとって、戦艦大和の残骸が眠っている場所が特定されたという事件が少し印象深く残っている程度であったが、戦後40年を迎える少し前に、教科書問題が起こり、当時の中曽根首相の靖国参拝問題が起こっており、現在に至る動きが始まったともいうべき年であったことを、さらに、そこから40年経った、戦後80年を前にしみじみと振り返る。 

戦後70年に際して、安倍内閣が発した談話は、その戦争原因としての「国策の誤り」を2点に絞り込んだ。ひとつは、民族自決主義という世界的な潮流に反してしまったこと、第二は国際紛争の武力に頼らない、平和的解決原則に反してしまったことである。しかし、民族自決原則が1919年のベルサイユ講和会議以後に原則となって以後、すでに併合されていた韓国問題にいかに対処すべきであったのかについては触れられず、また、日露戦争によって経営権を得ていた南満洲鉄道の経営権問題にも、具体的な言及はなされていない。二つの原則に反し「世界の大勢を見失った」ことが反省点として述べられてはいるが、その反省は韓国や中国に向けられたものにはなってはいない。 

自国民が体験した戦争を、特に、その被害者としての側面から想像することは、比較的容易である。また、平和という価値と結びつけて戦争を語ることが、日本人一般の思考様式となりながらも、具体的な他国民との和解にはつながらない。和解学が他国民との和解を想像し得る社会的条件を探求せんとするのは、こうした状況に対する一つの挑戦でもある。 

被害の記憶と感情、そして和解の芽

 私自身の体験を一つの例として、こうした戦争の記憶をめぐる状況を、オランダのハーグで、タンゲナ・由香里先生のコーディネートで論じたことがあった。私の祖父母にとっての戦争を材料にしながら、現在の状況を加えて論じたものであった。詳しくは、本サイト掲載のエッセイ「私と戦争、そして和解」をお読みいただきたいが、成長する過程で、幼なく若かった自分が取り込んだ個人的な記憶は、私の意識からはほぼ消えていた。しかし、それらは、今から振り返ると、自己を対象化することができない子供時代に、祖母の語りがどのように私自身に内面化されていったのかを考えるために、貴重な記録となっている。 

すこし、要約すれば、祖母にとっての戦争は、一番の心の痛み、長男を失ったことが全ての中心となっている。人間が心のバランスを維持しながら、その後の人生を生きていくために、記憶は再形成されるということができるであろう。その反面、祖父から聞いた日露戦争の話は、祖父にとって、そしておそらく近世以来の日本の農村の子供達にとって初めての、鉄道という近代的文明装置の導入と結びついているようにも感じられる。祖父にとっての祖父が、鉄道用地の買収を行なった話も、合わせて聞かされたからである。また、祖父はいつも鉄道のそばにある畑を大事にしていたことや、その鉄道に沿って歩くこともしばしばあったが、それは祖父にとっての祖父の思い出とも重なっていたのかもしれない。近代という時代が、常に過去の記憶を意識しつつ、その意味を考え主体としての意思を育む個人によって作られることを改めて考えさせられる。 

 こうした体験の延長に、私も研究者となってからは、各国民に刻まれた国民的記憶と、国民相互の和解可能性を考えるようになった。大学に入った私が直面したのは、植民地時代の記憶を祖父母や両親から聞かされて育った留学生たちであった。台湾と韓国の留学生との個人的な出会いを通じて、その植民地時代の記憶が好対照をなしていることが深く心に刻まれた。韓国の留学生一般にとって、植民地時代の記憶は、本来であれば、「存在してはならなかった時代」の記憶である。それに対して、台湾の留学生にとってのそれは、「まさにそれゆえに台湾人が生まれてきた時代」の記憶である。その二つの軸の間に、近代化のライバル、あるいは「勝者」として日本をみなす中国人留学生の記憶があるということができるかもしれない。いずれにせよ日本周辺の国民の感情は、日本という存在を抜きには語れない。それは「西欧」「列強」を抜きに、それをモデルとしてきた日本の国民感情が語れないのと同様であろう。第二次大戦中のオランダ民間人への残虐行為は、まさにその裏返しということができるであろう。 

おそらく、それぞれの国民との間で、具体的な和解の仕方は異なるものとなることであろう。しかし、あえて一般化すれば、国民的な感情相互の和解にあたっても、(1)自分自身の感情が想起されるところの記憶をより客観的な歴史と結びつけて冷静に他者に語り得るようになること、(2)人間の他者への感情には、共感(sympathy)、哀れみ・同情(compassion)、そして友愛(仏: fraternité、英: fraternity)が入り混じっている(Ute Freverr, Emotions in History: Lost and Found)ことを自覚化すること、この二つが最低限必要であるように感じられる。「共感」は対等な関係での感情であるのに対して、「哀れみ・同情」は文明的・文化的な上下関係の中での感情、そして「友愛」は同じ国民・民族に向けられた感情である。 

和解の困難さは、こうした感情が一人の人間に向けられるよりは、国民という集団に対して向けられてしまう傾向から、人間が自由になれないことにある。しかし、共感という回路を通じることができれば、「相手」の国民の被害感情を、「こちら」国民の被害感情をテコとして、想像することはできる。さらに、感情を喚起する普遍的な価値が、日本人の被害においては「豊かさ」や安定・秩序という社会的なものが失われたとされるのに、韓国人の被害においては「尊厳」や「自由」という「個人」を支えるものが失われたとされる傾向があるという和解学における指摘を踏まえれば、その被害感情の共感は、より具体性を増すことであろう。 

国民としての感情が想像されたものであることは、アンダーソン『想像の共同体』に詳しく説明されている。そうした同じ国民としての感情を、「内輪」で支えるのが友愛である。国民が同じ言語を話し、同じ習慣をもち、何らかの形で容易にコミュニケーションが取れる存在であることが、少なくとも19世紀の末期のスイスを例外として、20世紀の第二次大戦の頃までは一般的であった。戦争は、何よりも、そうした友愛の感情を国内で高めることを絶対化し、それ以外の感情を統制することから起こったということができる。ユダヤ人や外国の国民に対する時、人間一般に対して感じる共感のみならず、哀れみ・同情さえも政治が統制することによって、さまざまな残略行為や、「差別」は生み出された 

経済力のみならず、生産活動を支える人間の心理やそれをささえる思想までも戦争へと動員するところの総力戦という戦争においては、さらに人間の感情も戦争に動員される。制度的には、差別を合理化する「帝国法制」が存在していても、民族と民族の感情関係、感情秩序ともいうべきものは、総力戦の時代に大きく変わったのではなかろうか。国民としての友愛の感情は、多国民への差別・侮蔑を含んだ優越感に高められ、多国民への共感も哀れみさえも差別的な構造の中に組み込まれたのではないか、そう考えれば、被害の感情は、加害への関心と接続できる。さらに必要なことは、加害の後始末を、責任を持って行ったということも必要不可欠ではあるが。 

最後にー本プロジェクトのテーマ

最後に、本プロジェクトの大きな目標との関連から、以上のような私の個人的体験と記憶を整理したい。私自身が卒業論文で取り組んだのは、ソビエトで労働者革命が起きた後の、1925年の日ソ関係改善であった。しかし、その日ソの間に出現したのが、沿海州に移民した朝鮮人社会に関して記述した日本外務省資料であった。また、外交史料館の中に、『帝国内政雑件』というものがあり、第二次大戦末期に朝鮮半島に、衆議院議員選挙法を施行するための改正法案をめぐる資料が公開されたばかりであった。この世界大戦と植民地支配が、私の修士論文以来のテーマとなり、博士論文での植民地法制の構造と、その起源と展開、消滅の論文となった。 

その延長に、制度だけでは捉えられないものとして、記憶・価値・感情の問題を捉えたのが、2017年度の新領域・和解学の創成、以来取り組んでいる和解学のプロジェクトである。それは、哲学・思想的なアプローチと、社会学・メディア研究・市民運動研究、そして歴史学を、政治・外交史研究と組み合わせることから始まった。今回、教育学も加えて、大規模にプロジェクトを組織させていただいたことは、まさに、分担者の先生方の変わらぬ協力と、大学事務局のサポート体制の賜物に他ならない。 

本プロジェクトにおける各班共通のテーマと関わって、戦争の時代を体験していない世代に、いかに戦争を伝えていったらいいのかという一般的な問題があるこの「いかに」については、感情と理性の組みわせ、バランスが重要で不可欠であり、そのバランスの上に、グローバルな視点を設定し、魅力ある学問としても、面白い大衆文化としても、発信することが不可欠であると思う。 

現在の時代に生きる研究者にとっての魅力ある問題設定としては、いかのような目標が挙げられるであろう。感情という存在を、論理的、冷静に、研究の対象としていくこと、そして歴史の記憶が普遍的な価値と結合することによっていかに国民的、あるいは市民的(言葉遣い自体が政治化する)感情が生み出され、現在の状況を批判する「正義」や「教訓」が作られていくのかを論じることそれは、逆に体制を正統化する装置として記憶が用いられる過程と、国内・国際の体制を批判する道具として、記憶と価値が用いられる過程でもある。さらに民主化運動や、ジェンダー・人権に関わる政治運動がいかに新しい記憶を掘り起こすことで新たな感情的エネルギーを供給されていくのか、体制と運動にまたがり、そして国内と国際という次元を超えて展開される、記憶・価値・感情をめぐる政治的構造の解明は、われわれを今の時代と時代を作る国民社会の構造から解放し、未来に向けた自由を得るために必要となろう。それこそが、本プロジェクトにおける各班共通のテーマとなろういずれ、こうした成果は英語で発信され、大きな反響を巻き起こすものと信じてやまない。 

東アジアを焦点とする、国民統合のダイナミズム・力学の解明と、それによる国際和解学の探究は、漢字やハングル・ひらがなが読めて、各国言語資料解読に有利な日本を拠点とする研究者に比較優位があるため、英語での発信力を有する若手研究者を、大きな枠組みを意識して育成するための早道となる、研究課題に他ならない。こうした問題設定こそ、本プロジェクトが世界の学会に貢献できる本質的な優位点、醍醐味といえよう。 

また、学問の世界のみならず、国際協力一般に国際和解学の成果が還元されることは、互いの壁を超えて、和解と紛争に絡まる実践的問題を刺激し、成果を実りあるものとすると信じている。国際和解学に刺激された新たな文化的成果により、一般社会においても、自分のうちにある国民感情を、他国民へ向けられる感情と組み合わせて、冷静にみつめることができる若者が増えて欲しいと願う。私の心中でも、私の祖母の息子たちに向けられた感情は、生きた記憶となって、記憶を考察する糸口を私に開いてくれている。その私的な感情の生み出した、公的な成果の最大のものが本プロジェクトなのである。私的な感情と記憶の詳細は、エッセイをお読みいただきたい。) 

研究画像